高校中退後は、本格的に俳優を目指し、マンハッタンの舞台芸術高校に通い始めるも、お母さんが病気になり、働かなくてはいけなくなったことから、舞台芸術高校も中退した、アル・パチーノ(Al Pacino)さんですが、そんな中でも、地道に演劇活動を続けていたといいます。

「アル・パチーノは9歳でタバコと酒!13歳でマリファナを始めていた!」からの続き

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チャーリー・ロートンとの出会い

病気のお母さんに仕送りをするため、様々な仕事をこなしつつ、ニューヨークの劇場地下でいくつかの地下(アンダーグラウンド)劇に参加していたアル・パチーノさんは、1959年、19歳の時、演劇学校「HBスタジオ(ハーバート・バーコフ スタジオ)」に参加するようになると、そこで、俳優・チャーリー・ロートンさんと出会い、演技について様々なことを教わったそうで、

アル・パチーノさんは、

彼こそが私の恩師となった。まったく新しい世界に私を導いてくれたんだ。文学の世界への扉を開いてくれたのも彼で、それから本を読み漁るようになった。

と、語っています。

初舞台でいきなり「第23回トニー賞助演男優賞」を受賞

そんな中、1962年に、最愛のお母さんが42歳で他界し、アル・パチーノさんはとても落ち込んだそうですが、やがて立ち直ると、より演技に打ち込むようになったそうで、

「HBスタジオ」で4年間演技を学んだ後、1966年、26歳の時には、メソッド演技法の権威で、リー・ストラスバーグさんが主宰する俳優養成学校「アクターズ・スタジオ」のオーディションを受けると、見事合格。

(「アクターズ・スタジオ」は難関で知られる演劇学校の名門で、アル・パチーノさんは、3回目でようやく合格したそうです)

この頃、アル・パチーノさんは、オーディションに行くためのバス代もないほど貧しかったそうですが、「アクターズ・スタジオ」でメソッド演技法を学び、1968年、「The Indian Wants Bronx」で初舞台を踏むと、いきなり、「オビー賞主演男優賞」を受賞。

さらに、翌年の1969年2月には、ブロードウェイで上演された「Does a Tiger Wear a Necktie?」に出演すると、この作品は、3月までの間に39公演しか行われなかったのですが、アル・パチーノさんの演技は高い評価を得て、いきなり「第23回トニー賞助演男優賞」「シアター・ワールド新人賞」「ドラマ・ディスク賞」を受賞するなど、メキメキと頭角を現していったのでした。


「Does a Tiger Wear a Necktie?」より。手前がアル・パチーノさん。

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ホームレス同然の生活も充実していた

ちなみに、アル・パチーノさんは、この頃の生活について、

自転車便の発送人にフランク・ビアンカマーノという男がいたんだが、彼はアクターズ・ギャラリーという劇団もやっていて、数年後に彼の劇団のオーディションを受けることになった。

当時はすでに母が他界して、アパートも失っていて住む場所がなかったから、劇団の舞台で寝ていたよ。あれは楽しかったね。常にビールなんかが見つかったし、チャーリーや他の役者、アーティストたちとつるんでいた。

人生の展望はまったく見えなかったけれど、自分が正しい方向に進んでいる感覚があった。

そして、ヨハン・アウグスト・ストリンドベリの「Creditors」という戯曲と出会った。このとき、自分のなかで何かが起きた。自分の人生を救ってくれることになると分かったんだ。

実際、その通りになったよ。今後、どんなことが起きようとも、これこそが自分がやりたいことだと悟ったんだ。人生を賭けたいと思えるものに出会えて、とても幸運だったね。

と、明かされています。

「アル・パチーノが若い頃は「ゴッドファーザー」で大ブレイク!」に続く

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