お父さんが他界したことで家族バラバラになり、伯父夫婦のもとに預けられて、すっかり荒んでしまった、大村崑(おおむら こん)さんですが、やがて、お父さんの影響で、芸能界を目指し、有名人が多く集まるという神戸・三宮にあるキャバレー「新世紀」で働き始めます。

「大村崑は少年時代に父親が他界し伯父夫婦の養子となっていた!」からの続き

Sponsored Link

キャバレー「新世紀」でボーイとして働き人気者に

進駐軍の倉庫へ忍び込んでは、塩やタバコを盗んで売る、「闇物資商売」に手を染めていた大村さんですが、やがて、亡きお父さんの影響で、芸能界を目指し、まずは、多くの有名人が集まる神戸・三宮のキャバレー「新世紀」で働こうと、ボーイのオーディションを受けます。

すると、当時、水商売はメガネ姿がNGだったことから、小学生の頃からメガネをかけていた大村さんは、一旦は不採用になってしまうのですが、オーディションで面白おかしくしゃべっていた大村さんを見ていたオーナー夫人が、「あの子、面白いわね」と口添えしてくれたことで、一転して、合格。

こうして、大村さんは、ボーイとして「新世紀」に勤務するようになると、「新世紀」はダンスホールやサロンを備えた大きなキャバレーだったため、ボーイが100人はいたそうですが、その中でメガネをかけていたのは、大村さんだけだったことから、

メガネのボーイさんを呼んでください

と、かえって目立ち、大村さんは、早くも人気者となったのでした。

(「新世紀」には、力道山さん、雪村いづみさん、江利チエミさんなど、有名人がたくさん来店し、とても華やかだったそうです)

肺結核で右肺を切除

そんな大村さんは、いつも、お店が終わると、別の店に行き、店主にチップを払って店を開けさせ、大学生や商売人と「賭け球」(賭けビリヤード)を朝までやっていたそうですが、

ある夜のこと、ビリヤードをしている途中、何気なく吐いた痰(たん)が真っ赤だったことから、慌てて病院で検査をしたところ、重度の「肺結核」との診断。

(医師からは、「40歳で死ぬ」と宣告されたそうです)

その後、右肺を切除する手術を受けられます。

(大村さんは、お酒は飲まなかったそうですが、たばこは、ニコチン2.3mg タール28mgという濃厚な両切りの紙タバコであるピース缶をバカバカと吸うほどのヘビースモーカーだったそうです)

Sponsored Link

人気司会者の大久保怜に弟子入り

こうして、1年半ほど療養していた大村さんですが、無事回復し、「新世紀」に復帰すると、ボーイの仕事以外に、司会も任されるようになったそうで、

やがて、司会の面白さを知り、親しくしていた雪村いづみさんのマネージャーに、

プロの司会者になりたい

と、言うと、人気司会者の大久保怜さんを紹介してもらったそうで、

(大久保さんは後に、「素人名人会」の審査員で有名になっています)

大村さんは、1953年、大久保さんに弟子入りすると、笠置シヅ子さん、灰田勝彦さん、小畑実さんら、人気歌手の地方公演の司会を受け持つようになったのでした。

ちなみに、司会業は、当時、大学卒の初任給が1万円だった時代に、7~8万円もの稼ぎがあったそうで、

大村さんは、

司会はよう儲かりました

と、語っています。

(大久保さんには声帯模写も勧められ、勉強したそうですが、下手で上達せず、こちらの方は長続きしなかったそうです)

「大村崑が若い頃は「やりくりアパート」でブレイク!」に続く

Sponsored Link