1973年、オーディションに合格し、「劇団四季」のミュージカル「イエス・キリスト=スーパースター」(後の「ジーザス・クライスト=スーパースター」)のヘロデ王役でデビューすると、1975年には、舞台「エクウス」の主演に抜擢され、たちまち脚光を浴びた、市村正親(いちむら まさちか)さんですが、「劇団四季」の主宰者・浅利慶太さんを激怒させ、平謝りしたことがあったそうです。

「市村正親のデビューは劇団四季の「イエス・キリスト=スーパースター」!」からの続き

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舞台「エクウス」の成功で有頂天になっていた

1975年秋、「劇団四季」の舞台「エクウス」の主演を務め、たちまち、脚光を浴びた市村さんは、千秋楽では、「劇団四季」の主宰者・浅利慶太さんに、ごはんを食べに連れて行ってもらったそうで、また、その後、飲みにも連れて行ってもらったそうです。

しかし、その飲み会の時、浅利さんから、

(市村さんのインタビュー記事に触れ)ほかの人たちのことが出ていないな

と、言われたのだそうです。

浅利慶太にスタッフへの配慮のなさを指摘されていた

というのも、市村さんは、インタビューでは、有頂天になって、他のスタッフへの配慮をせず、自分のことしか語っていなかったそうで、それを浅利さんから指摘されたのですが、

市村さんは、この時、初めてそのことに気づいたそうで、自分の至らなさに情けなくなり、思わず泣いてしまったそうです。

それでも、翌日には、浅利さんは、「酒の勢いで言いたいことを言った、チャラにしよう」と、言ってくれたそうで、

市村さんは、そんな浅利さんを、

四季に在籍中、僕を大改造してくれた恩師です。

と、語っています。

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浅利慶太を激怒させ平謝りしていた

また、市村さんは、満員のお客さんを前に演じている最中、舞台袖から、浅利さんに、「オレはそんな演出をした覚えはないぞ!」と、怒声を浴びせられたこともあったといいます。

というのも、市村さんは、お客さんに楽しんでもらおうと、自分なりに味付けをして演じていたそうですが、それが浅利さんには我慢ならなかったようで、終演後、「今後仕事はないものと思ってくれ」とまで言われたのだそうです。

これを聞いて、市村さんは泣き崩れたそうですが(そのため、周りはみな、「市村はこれで辞めるな」と思っていたそうです)、何が浅利さんを怒らせたのかを必死になって考えたそうで、

その夜、自分の非を認める手紙を書き、その手紙を持って夜行列車に飛び乗り、長野にいる浅利さんに手渡しに行くと、

(浅利さんは、長野の山荘で次の公演の稽古をしていたそうです)

浅利さんは、「わかった。そういう考えなら、また一緒に仕事をしよう」と言ってくれ、さらには、「すき焼き食ってけ」「寒いからこれ持ってけ」と、着ていたカシミヤのセーターまでくれたそうで、

市村さんは、

こんなことされると、ついていきたくなるよね。浅利さんはこういうアメとムチの使い分けが、本当に上手だったと思います。

と、語っています。

「市村正親は若い頃「オペラ座の怪人」の主演に抜擢されていた!」に続く

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