松坂慶子が若い頃は「夜の診察室」での妖艶な演技で一躍脚光を浴びていた!


壮絶な状況から脱出し成功を収めたお父さんのお陰で、比較的裕福な幼少期を過ごし、様々な習い事をしたという、松坂慶子(まつざか けいこ)さんは、中学2年生の時、何気なく「劇団ひまわり」に入ったことがきっかけで、やがて、女優を目指すようになります。

「松坂慶子は父親によって帰化(日本国籍取得)していた!」からの続き

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中学生の時「劇団ひまわり」に入団

教育や芸事に熱心だった両親のもとに生まれ育った松坂さんは、1960年、小学校2年生の時、「くるみ児童合唱団」に入ると、1961年には、NHKの「腕くらべ声くらべ子供音楽会」で「カラスの赤ちゃん」を歌って合格するなど、歌が上手だったそうですが、

中学校では演劇部に入部すると、そこで知り合った友達に誘われ、1966年、中学2年生の時、「劇団ひまわり」に入団します。

(この頃はまだ、女優に強い憧れがあった訳ではなく、なんとなくだったそうです)

「ウルトラセブン」でヒロインに起用されるも脚本家をがっかりさせていた?

そして、1967年、14歳の時には、幼児向け番組「忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ」でテレビドラマデビューすると、


「忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ」より。

翌年の1968年には、「ウルトラセブン」の第31話「悪魔の住む花」で、宇宙細菌ダリーに侵される少女・香織に起用されます。


「ウルトラセブン」より。

ただ、脚本を担当した上原正三さんは、後に、

ヒロインの香織役を、とびきりの美少女にしてくれ、と鈴木監督に頼み込んでおいたのに、ラッシュを見ると、やや太めの健康そうな女優だったので大いにがっかりした。

その女優が松坂慶子だった。これが彼女のデビュー作で、天下の美人女優に大化けするとは思いもしなかった。

と、語っています。

テレビドラマや映画に立て続けに出演

その後、松坂さんは、日本大学芸術学部を志望していたことから、(日本大学の付属校である)日本大学第二高校に進学すると、翌年の1969年には、「大映」からスカウトされ、同年、「ある女子高校医の記録 続・妊娠」の女子高生の役で映画デビュー。(クレジットはなし)

その後も、

テレビドラマでは、

「おくさまは18歳」(1970年)
「おさな妻」(1971年)
「なんたって18歳!」(1971年)

映画では、

「高校生番長 深夜放送」(1970年)
「高校生番長 ズベ公正統派」(1970年)
「樹氷悲歌」(1971年)

と、テレビドラマや映画に立て続けに出演したのですが・・・

そのため、学校を休みがちになり、お父さんから女優を辞めるように言われたそうで、女優を続けたかった松坂さんは、なんとか、お父さんを説得し、最終的には認めてもらったのだそうです。

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映画「夜の診察室」での妖艶な演技で一躍脚光を浴びる

そんな松坂さんは、1971年、19歳の時、医学博士である父が開業している性相談室で手伝いをしている、可憐で好奇心の強い女子大生が、ポルノ作家と自称する青年と恋に落ちてしまうという風俗コメディ「夜の診察室」で主演(映画初主演)に抜擢されると、

ヌードや峰岸徹さんとのベッドシーンといった、身体を張った演技で、妖艶な魅力を発揮。一躍、脚光を浴びたのでした。


「夜の診察室」より。

ちなみに、この「夜の診察室」、当時、売り出し中だったセクシー女優の渥美マリさんが主演を務めるはずだったそうですが、渥美さんが、「もう肌を露出するのは嫌」と、出演を拒否し降板したことで、松坂さんに白羽の矢が立ち、代役に起用されたそうで、松坂さんにとっては、スター女優へと大きく飛躍する作品となったのでした。

(渥美さんは、その後、この映画で注目され、大スターになっていった松坂さんに嫉妬や焦りを感じて精神的にズタズタになり、1978年には睡眠薬を服用して自殺未遂を起こすなど、転落していきます)

「松坂慶子が若い頃は大河ドラマ「国盗り物語」で濃姫役!」に続く

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