1967年、14歳の時、幼児向け番組「忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ」でテレビドラマデビューすると、1971年には、代役として出演した映画「夜の診察室」でヌードやベッドシーンを演じ、たちまち脚光を浴びた、松坂慶子(まつざか けいこ)さんは、その後も順調にキャリアを重ねていきます。
「松坂慶子が若い頃は「夜の診察室」で一躍脚光を浴びていた!」からの続き
松竹に移籍し清純派女優として売り出される
映画「夜の診察室」に主演し、一躍、脚光を浴びた松坂さんですが、1971年12月には、所属していた「大映」が倒産。
それでも、翌年の1972年、「松竹」に移籍すると、
「辻が花」(1972)
「藍より青く」(1973)
「宮本武蔵」(1973)
などの映画で、清純派女優として売り出されます。
(この頃、松坂さんは、電車で1時間以上かけて「松竹大船撮影所」に通っていたそうですが、車窓から見える景色などが新鮮で気持ち良かったそうです。)
NHK大河ドラマ「国盗り物語」で濃姫役に抜擢される
そして、1973年、20歳の時には、NHK大河ドラマ「国盗り物語」で、「美濃のまむし」と恐れられた斎藤道三の娘で、後に織田信長の妻になった、濃姫役に抜擢。
すると、松坂さんは、まむしの娘にふさわしく、強さと美しさを兼ね備えた濃姫役を好演し、全国的な人気を博したのでした。
(当初、濃姫役には栗原小巻さんが決まっていたそうですが、スケジュールの調整がつかなくなったため、代役としての抜擢だったそうです)
NHK大河ドラマ「国盗り物語」より。
「国盗り物語」は時代劇初出演だった
ちなみに、時代劇初挑戦だった松坂さんは、着物の着方、所作、薙刀の使い方ほか、気難しい信長の妻となる濃姫をどのように演じたらいいのか、まるで分からず、時代考証、所作指導の人につきっきりで指導してもらい、教えられるがままに、無我夢中で演じたそうですが、
(撮影現場では、居残りの特訓を受けることもあったそうです)
その甲斐あり、1975年の、時代劇「江戸を斬る 梓右近隠密帳」での柳生十兵衛の妹役では、見事な殺陣を披露し、主演の竹脇無我さんをしのぐ程だったと言われています。
「事件」「配達されない三通の手紙」での妖艶な演技でブレイク
そんな松坂さんは、1978年には、野村芳太郎監督作品「事件」で、一人の若者をめぐって妹と三角関係になる、スナックのママ役を妖艶に演じると、
「事件」より。
(劇中に出てくるスナックの名前「カトレア」は、松坂さんのアイディアで、野村監督にお願いしてつけてもらったのだそうです)
1979年にも、同じく野村監督作品「配達されない三通の手紙」で、悪女役をセミヌードを披露するなど妖艶に演じ、一躍トップ女優の座に上り詰めたのでした。
「松坂慶子は昔「愛の水中花」で歌手としてもブレイク!」に続く
「配達されない三通の手紙」より。