ポール・マッカートニーさんとの大ゲンカをきっかけに、「ビートルズ」脱退の意思を固めたという、スチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)さんは、その後、恋人のアストリッド・キルヒャーさんと婚約すると、いよいよ「ビートルズ」を脱退します。

「スチュアート・サトクリフはポール・マッカートニーにイジメられていた?」からの続き

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アストリッド・キルヒャーさんと婚約し「ビートルズ」を脱退

ある日、メンバーが慌てるほどの大ゲンカをポール・マッカートニーさんとして以来、「ビートルズ」脱退の意思を固めたというスチュアートさんは、1960年11月には、恋人のアストリッド・キルヒャー(Astrid Kirchherr)さんと婚約すると、同年の終わり頃には、アストリッドさんの自宅の屋根裏部屋をアトリエに改装して同棲をスタートし、同時に、画家として生きていくべく、ついに「ビートルズ」を脱退します。

ただ、スチュアートさんは、「ビートルズ」を決して嫌いになったわけではなく、脱退後も、アート担当として、「ビートルズ」に携わることになっていたそうです。

(スチュアートさんが脱退したことで、ジョン・レノンさんは激しく落ち込んだといいます)

彫刻家エドアルドパオロッツィに師事し画家に専念

そんなスチュアートさんは、同年12月には、外国人(イギリス人)でありながら、独ハンブルク州立芸術大学に入学すると、客員教授でもあった彫刻家、エドアルド・パオロッツィさんの指導のもと熱心に絵の勉強をし、その後、大学院の奨学金も得て、画家として創作活動に専念したそうで、

後に、エドアルドさんは、当時のスチュアートさんについて、

最高の学生の一人だった

非常に精力的で才能があった。可能性が溢ふれんほどであり、鋭い感受性と絶対に成功するんだという自信に満ち満ちていた

と、語っています。

「ビートルズ」はドイツを国外退去処分となっていた

一方、「ビートルズ」はというと、1960年11月、ジョージ・ハリスンさんが18歳未満にもかかわらず、夜10時以降もクラブで働いていたこと、メンバー全員が労働許可証を持っていなかったことで、ドイツ警察当局により国外退去&強制送還処分となり、イギリスに戻されているのですが、

(スチュアートさんだけは、アストリッドさんのところに身を隠して、「国外退去&強制送還処分」を免れ、独ハンブルクに残っていました)

その間、ジョン・レノンさんはスチュアートさんに頻繁に手紙を送っていたといいます。

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ジョン・レノンから厚く信頼されていた

実は、ジョンさんからは、当初はジョークやデタラメ話などが書き送られてきたそうですが、次第にその内容は深刻なものになっていったそうで、

以前は、どんな時も、弱みや悲しみを見せなかったジョンさんが、

(リヴァプールでは成功していたものの)全てくだらない仕事だ。今に何かが変わると思っているけれど、いつになったら変わるんだろう?

と、現状に対する不満も書き送ってくるようになり、特に何も書くことがない時には、自作の詩が送られてきたといいます。

(多忙なジョンさんが、忙しい合間を縫って、まめにスチュアートさんに手紙を書いていることから、ジョンさんのスチュアートさんに対する厚い信頼が伺えます)

「スチュアート・サトクリフは死の直前激しい頭痛に苦しめられていた!」に続く

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