お父さんが他界したことから、高校を中退し、ますます働き、家計を支えていたという、デヴィ夫人ですが、世界の社交場のような場所だった、高級クラブ「コパカバーナ」で接客するようになると、やがて、世界進出を夢見るようになったそうで、そんな中、インドネシアのスカルノ大統領と出会います。

「デヴィ夫人が若い頃は高級クラブで「プリンセス」と呼ばれ大人気だった!」からの続き

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高級クラブ「コパカバーナ」で働きながら世界進出を伺っていた

デヴィ夫人は当時を振り返り、

お客さんの90%が外国人。世界の社交場のような名声を得ていて、当時の大学新卒の給与が1万ぐらいだった時代に、その時のテーブルチャージは、フランク・シナトラが歌った夜は1人10万円。

どのぐらい豪華なクラブだったかお分かりかしら。

新聞の朝刊に米上院議員のテッド・ケネディ氏が来日したとあると、その夜には彼の姿がそこにあるぐらいの世界の社交場。ここで働く女性はファッション誌から抜け出したような人たちばかり。

そして、ここへ遊びにいらっしゃる紳士たちは女性の椅子を引き、飲み物をオーダー、ダンスをする時は手を差しのべる、すべてがレディーファースト。わたくしは美しい花、そう「レディ」に憧れを抱いておりました。

と、語っているのですが、

実は、デヴィ夫人が「コパカバーナ」で働いたのには、自立や家計を支えること以外にも、英語を話せるようになるという目的もあったそうで、

働きながら、英会話の練習をする日々を送り、一流の外国人と会話を交わしながら、世界進出するチャンスを伺っていたのだそうです。

スカルノ大統領との出会い

すると、1959年、19歳の時、旧帝国ホテルのプルニエ(フランス風の魚介類料理専門のレストラン)で友達と待ち合わせをしていたところ、ちょうど、インドネシアのスカルノ大統領が来日中で、同ホテルでパーティーをしていたそうで、その場で、スカルノ大統領の側近に、

大統領と一緒にお茶を飲みませんか?

と、誘われたというのです。

そこで、案内されるままに、大統領の隣に座らされたそうですが、

デヴィ夫人は、その時のスカルノ大統領について、

大きな目はキラキラと輝き、チャーミングな八重歯が印象的。第一印象で、慈悲深い大きな優しさを感じ、一瞬、イナズマに打たれた気がしたのは今もハッキリと覚えています。

クラブで働いていたので、外国の富豪とは対等にお付き合いしてきましたが、それでもその時の雰囲気は特別!とても緊張しましたが、しばらく談笑してその日はお別れいたしました。

と、語っています。

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スカルノ大統領と文通を経てインドネシアへ

その後、デヴィ夫人は、スカルノ大統領から、「写真を送ってほしい」と手紙をもらったそうで、写真を添えて返信すると、以降3ヶ月間、文通していたそうですが、

ある日のこと、いつものように、スカルノ大統領からの手紙を受け取ると、そこには、

2週間ぐらいインドネシアに遊びに来ませんか?

と、書かれてあったのだそうです。

実は、当時、デヴィ夫人は、アメリカやフィリピンの大富豪たちから求婚されていたそうですが、それでも、自分の人生は他にあるのではないかと、決めかねていたところだったそうで、

そんな折の、スカルノ大統領からの誘いに、多少、国の大統領であるという不安はあったものの、

インドネシアへ行ったら、何か閃(ひら)めきがあるかもしれない

と、思ったそうで、デヴィ夫人はインドネシア行きを決意したのでした。

「デヴィ夫人はマスコミに売春婦と叩かれ、実弟がガス自殺していた!」に続く


スカルノ大統領と当時20歳のデヴィ夫人。(大統領官邸ムルデカ宮殿にて)

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