小学校2年生の時に、両親が別居することとなり、お姉さんと共にお母さんと暮らすことを選び、女性ばかりの家庭で育った、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、少年時代は病弱(小児喘息)だったことから、まるで女の子に(異性として)相手にされなかったといいます。
「吉田拓郎は不在だった父親と兄にも大きな影響を受けていた!」からの続き
少年時代は病弱(小児喘息)だった
吉田さんは、小・中学時代は喘息(ぜんそく)持ちだったそうで、一度、喘息の発作が起きると、1~2週間は学校を休まなくてはならず、肉体的な弱さはもちろんのこと、学業でも遅れていることに気後れし、家で悶々(もんもん)と過ごすことが多かったそうです。
実際、半月ほど休んで学校へ行くと、(子どもは成長が速いため)肉体的にも学業的にも、同級生たちがすごく大人に見えるほど成長していたそうで、
そのため、さらに成長が遅れ、勉強にもついていけず・・・とマイナスのループに陥ってしまい、遅れている自分がとても嫌だったそうです。
(ちなみに、高校3年生の時、ようやく元気になり、みんなと対等になったと思えるようになったそうで、その時、やっと自分がまともな人間になれたような気がしたそうです)
療養中は漫画三昧の日々だった
そんな吉田さんですが、喘息は寝ている必要がなく、発作の時以外は普通の生活ができたことから、学校を休んでいる間は、(まだテレビの時代ではなかったことから)ラジオを聴いたり、「おもしろブック」「少年ブック」「少年画報」などの漫画雑誌をひたすら読んでいたそうで、
鹿児島にいた頃には、毎月8日が発売日の漫画雑誌を、お父さんに頼んで、7日の夜に本屋に行って買ってきてもらうなど、漫画三昧の日々を送っていたそうです。
小中高時代は女の子にモテなかった
また、吉田さんは、小・中学時代は、しばしば学校を休んでいたことから、
吉田君は体が弱い
と、同級生はおろか、下級生の女の子たちからもまったく異性として相手にされていなかったそうで、それは、高校生になっても変わらず、まるでモテなかったそうです。
そのため、好きな女の子ができても、遠くからほのかな想いを寄せるしかなく、家で一人でいろいろなことを妄想するようになったそうですが、
その妄想というのが、とてもリアルで、たとえば、中学の時から好きだった女の子の時には、一緒に宮島へデートに行く計画を立てると、実際に下見にも行き、あの道の何歩目でキスをしてなど、すべての段取りを頭の中で綿密なストーリーを組み立てていたのだとか。
ちなみに、その計画性は今も健在だそうで、
吉田さんは、
(旅行の)計画や荷造り大好き。もうほんと、好き。
(整理整頓も大好きで)うちはきれいに片付いていないと嫌だし、配線なんかが見えるのは大っ嫌いで、後ろを這わせてきれいに留めて隠すとか。もう病的に整理好きですよ
と、語っています。
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