当時、様々な困難を抱え、引退を考えていたという、森進一さんを励ますために作曲した「襟裳岬」が大ヒットとなった、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、実は、吉田さんは、作詞にも大いに関わっていたといいます。

「吉田拓郎が森進一に作曲した「襟裳岬」は当初B面扱いだった!」からの続き

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「襟裳岬」の作詞は吉田拓郎と黄金コンビだった岡本おさみが担当

襟裳岬」の歌詞は、吉田さんの楽曲「花嫁になる君に」「旅の宿」「落葉」などの歌詞も担当し、吉田さんとの黄金コンビで活躍していた、作詞家の岡本おさみさんが担当しているのですが、岡本さんは、その経緯について、時期によって、二つの異なる説明をしています。

まず、一つ目は、岡本さんが襟裳岬を訪れたその日、春とはいえないとても冷たい海風が吹き渡っていたそうで、

あまりの寒さに近くの民家を訪ねたところ、老夫婦が快く迎え入れてくれて「何もないですが・・・お茶でもいかがですか」と温かいお茶を飲ませてくれたんです。

冷えきった身体に流し込んだお茶はとびきり美味しかった。「何もないですが・・・」という温かくて素朴な人情に「これだ!」と閃いたんです

と、いう話。

そして、もう一つは、「北海道で昆布採りをしている女の人の姿を見て書いた」という話。

なぜ、まったく別の事を話しているのか、その真意は不明ですが、様々な出来事が重なって書いたものだったのかもしれません。

「襟裳岬」はもともと「ビートルズが教えてくれた」という詩集の中の詩だった

さておき、「襟裳岬」は、吉田さんに曲を書いてもらうという企画だったことから、当時、「日本ビクター」のディレクターだった高橋隆さんが、吉田さんの黄金コンビだった作詞家の岡本おさみさんを訪ねると、

岡本さんは、

今あるものでよければ

と、言って、自身の発売前の詩集「ビートルズが教えてくれた」のゲラ刷り(試し刷り)を見せてくれたそうで、

高橋さんが、その本の170ページに載っていた「焚火I」という詩に目が留まり、「焚火I」を歌のサイズに変えてほしいと頼んだのだそうです。

(この時、岡本さんは、北海道で昆布採りをしている女の人を見て書いたと、言っていたそうです)

焚火I

悲しみを 暖炉で
燃やしはじめているらしい
理由のわからないことで
なやんでいるうちに
老いぼれてしまうから
黙りとおした歳月を
ひろい集めて
暖めあおう

君は二杯目だね
コーヒーカップに
角砂糖ひとつ
捨ててきてしまった
わずらわしさを
くるくるかきまわして
通りすぎた夏の匂い
想い出して
恥ずかしいね

吉田拓郎の希望で歌詞が書き換えられていた

そして、その後、岡本さんが、吉田さんにこの「焚火I」を電話で伝えると、ほどなくして吉田さんから電話があり、

いくつかのことばを変えたい

と、言われたそうで、

二杯目だね⇒二杯目だよね

角砂糖ひとつ⇒角砂糖ひとつだったね

に、書き改めたそうです。

また、もともと「焚火I」にはなかった”日々の暮らしはいやでも”というフレーズも、電話のやり取りの中で、吉田さんから出てきたものだったそうです。

「襟裳岬」という曲名は当初は「焚火」だった

こうして、二人のやり取りが続き、ようやく完成に近づくと、人気歌手の森進一さんが歌う割には、タイトルの「焚火」が、「ちょっと変だな」「弱いな」ということになり、

その時、岡本さんが、これまで旅をしてきた日本の風景を思い出し、ふっと浮かんだのが襟裳岬だったそうで、

さらには、詩集「ビートルズが教えてくれた」「焚火I」の前ページに、

襟裳の秋はなにもない秋です
昆布を採る人の姿さえも
そうしてほんのひととき
きみはわずらわしさを忘れ
襟裳の民宿で汚れたシャツを洗うぼくを想い浮かべ
そのたどたどしい手つきに
ふと 微笑むかもしれない

という、「襟裳岬」という昆布採りをする女の人が登場する詩を載せていたことを思い出したそうで、「焚火I」とこの二つの詩を組み合わせて、森進一さんが歌う「襟裳岬」が誕生したのだそうです。

(書きたいことを一つの詩にするのではなく、いくつかの詩に分けて書くのが岡本さんのスタイルだったそうです)

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「襟裳岬」の作詞は吉田拓郎と岡本おさみの共同作業だった

さらには、もともと書かれていた歌詞の”襟裳の秋”は、歌った時の言葉の響きから、”襟裳の春”に書き変えられているのですが、

岡本さんは、吉田さんにかなり歌詞を変更されていたことから、

共同作業だったと思う

と、語っています。

また、岡本さんは、詩集「ビートルズが教えてくれた」のあとがきでは、

読んでいい詩とうたのことばとは、もう境がないと言う人があるけれど、ぼくはそう思わない。どんな秀れた詩でも、メロディーをつけて、歌うと退屈な場合が多い。読む、あるいは見る詩と、歌う、あるいは聴くことは区別して、うたことばを創ってみたい。

ぼくはただ貧しい言葉を書くだけだが、その言葉からいろいろな人との共同作業が広がるのでうたはおもしろいと思う

とも、語っています。

「吉田拓郎は日本初の歌手主導のレコード会社を設立していた!」に続く


ビートルズが教えてくれた―岡本おさみ作品集と彼の仲間たちとの対談

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