4人目の妻・田鶴子さんとは、1990年代後半にカメラマンと被写体の関係として仕事を通じて知り合ったという、アントニオ猪木(あんとにお いのき)さんですが、田鶴子さんは、その後、カメラマンのほか、秘書、プロレス団体「IGF」の役員等、猪木さんの右腕として働いたそうで、結婚後も、公私ともに猪木さんをサポートし続けたといいます。
「アントニオ猪木の3人目と4人目の妻との馴れ初めは?」からの続き
4人目の妻・田鶴子からは逆プロポーズされていた
実は、猪木さんは、結婚&離婚を3回繰り返していることから、当初、田鶴子さんとは、結婚せず、事実婚のままで良いと思っていたそうです。
ただ、田鶴子さんは、両親とお兄さんはすでに他界していて、お姉さんは嫁いでおり、実家のお墓には入りたくない、どうしても猪木家のお墓に入りたいと、猪木さんにプロポーズしたそうで、
猪木さんは、そんな田鶴子さんの気持ちを汲む形で婚姻届を出したのだそうです。
(猪木さんにとっては、役所の手続きなど、面倒なことばかりだったそうですが(笑))
結婚式は妻・田鶴子のサプライズで行われていた
すると、その年、田鶴子さんは、自分で結婚指輪を買い、毎年ホテルオークラで開催されていた猪木さんの誕生日パーティーを、いきなり結婚式にするというサプライズをしたそうで、
猪木さんは、何の説明もないまま、白いジャケットを着させられ、カメラマンから写真を撮るからと急き立てられて、田鶴子さんと結婚写真を撮影され、驚いたそうですが、
ウエディングドレス姿で喜ぶ田鶴子さんを見て、
本人はすごく喜んでいました。その結婚パーティと最後の2ヵ月が、私ができた最大のこと。その点だけは奥さん孝行させてもらったかな。
私は、あまり愛だとか語るのは苦手なのでね。しかし本当に人の想いってすごい。いままで好き放題やってきた私ですが、この年になって、彼女から人の想いの強さと純粋さを教えられました。
と、語っています。
妻・田鶴子はアントニオ猪木の盾となっていた
また、そんな田鶴子さんは、結婚後は、猪木さんを利用して一儲けしようと企む者たちから、(すぐにビジネスの儲け話に乗ってしうまう)猪木さんを守るため、盾になってくれたそうで、
これにより、猪木さんと直接連絡を取ることが出来なくなった周囲からは不満が噴出し、田鶴子さんには厳しい声が飛ぶほか、田鶴子さんを中傷する記事も出たそうですが、
プロレス解説者・柴田惣一氏は、
田鶴子さんが、
人間は信用できないの
と、寂しそうにつぶやいていたことを証言しています。
(明るい性格の田鶴子さんもさすがに精神的に参ってしまっていたそうです)
妻・田鶴子はアントニオ猪木を身内からも守っていた?
ちなみに、猪木さんは、4度目の結婚は、身内の誰にも知らせず、新会社「コーラルゼット」を設立してからは、娘婿のサイモン・ケリー猪木さんやサイモンさんが取締役を務める「IGF」とも距離を置くようになっていたようで、
サイモンさんは、
携帯番号も変えられてしまって・・・新しい連絡先も教えてもらっていない。話し合いの場すら持てないのが実情です。
そもそも、私にも、実の娘である妻にさえも、結婚の連絡もないのですから。寂しい限りですよ。
と、語っているのですが、
これも、田鶴子さんが、猪木さんを守るためにやっていたことだったのかもしれません。
「アントニオ猪木の4人目の妻は膵頭ガンの身で猪木の看病をしていた!」に続く