1970年に結婚すると、以降、50年に渡り、専属スタイリストとして、公私ともにみのもんたさんをサポートし続けたという、妻の靖子さんですが、2012年、皮膚ガンのため、他界されています。

「みのもんたの妻は立教大学放送研究会の後輩!」からの続き

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妻・靖子が皮膚ガンで他界

結婚後は、主婦業に加え、仕事の衣装選び(専属スタイリスト)と、内助の功に徹して、みのさんをサポートし続けていた妻の靖子さんですが、2012年5月22日、午後4時48分、「皮膚ガン」のため、66歳で他界されたそうで、

みのさんは、同月24日に会見を開き、家族全員で最期を看取ったことや、(医師から、意識はないが耳は聞こえていると言われ)「ゆっくり休んで」と話しかけたことを、涙ながらに語っています。

妻・靖子は皮膚ガンが発覚した時にはすでに骨に転移していた

実は、靖子さんは、2011年7月に「皮膚ガン」が判明した際には、すでに骨にまで転移していたそうで、緊急手術を受けると、その後は抗ガン剤治療、放射線治療を繰り返していたそうですが、周囲に迷惑をかけたくないと、固く口止めしていたといいます。

また、靖子さんは、そんな病床にあっても、早朝から番組スタッフにみのさんの衣裳について細かく伝えるなど、みのさんの仕事をサポートし続けていたそうで、

みのさんは、

彼女は毎朝3時に起きて衣装を僕に渡し、5時半に番組がスタートすると、デスクの女性と話していた。毎日(こらえきれず涙を流す)。入院してからは病院に許可をもらって携帯電話で。

療養生活なんだからやらなくていいと言ったんですが、「急に朝連絡が取れなくなったらおかしいでしょ? 自分の責任もある」って、毎朝電話で衣装のチェックをしてくれた。だからスタッフも誰も気がつかなかった。

夏休みを取るまで(スタイリストを)続けていました。夏休み後は「まだニューヨークですか?」とスタッフに言われて、「うん」と答えていた。(夏休みは夫婦でニューヨークで過ごしていた)

と、語っています。

(みのさんいわく、靖子さんは、みのさんと一緒に番組に参加する気持ちで仕事をしてくれていたそうです)

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妻・靖子への思いを涙ながらに語る

そして、取材陣から、最後に、奥さんとの一番の思い出を聞かれたみのさんは、

たくさんありますけれどね。これからもたくさん出てくると思いますし。ただね、(自宅に)帰ってきて、自分で衣装室ってあんまり入らない。

入りましたら・・・(6月の衣装の準備まで)きれいにできてたんだ(涙を流す)。それを見たときが本当につらかったです。(この日は5月24日)

あくまでも僕個人の問題ですので、一般の方々に迷惑をかけたくない。つらいです。何がって言われると、うまく言えないけれど。いとおしいなっていう気持ちが強いです。「(自分のことが)絶対表面に出たくない」って言っていたのに、こういう形になって、怒っていると思います。

彼女が元気でいるときは、当たり前のように感じていましたけれど。まだ、3日もたっていませんけれど、喪失感は大きいです・・・。ちょうど50年の付き合いだから当たり前だと思っていたが、大事な存在だったんだな。

僕と一緒に番組に参加する気持ちでやってくれていた。日に日に強く思います。何でもっと早くに気づかなかったのかな。

子どもは3人いますが、僕を含め4人みたいなものだった。(点数を付けるなら?)100点満点。してあげたかったことはたくさんありますね。できればもっと優しくもっと一緒にいるべきだった、いてあげたかった。

生きているうちに、なんで言えなかったかな。一日一日、眠ったような顔でいますでしょ? こんなにいとおしい人がいたんだなってことが分かりました。

と、語っています。

「みのもんたの家庭は崩壊寸前だった?」に続く


妻・靖子さんの位牌を抱えるみのさん。

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