1950年代後半、ニューヨークで前衛芸術家としての活動をスタートすると、「ビートルズ」のジョン・レノンさんと結婚後は、共に、音楽・創作活動、平和運動活動を展開していた、オノ・ヨーコさんですが、実は由緒ある家系の令嬢でした。今回は、そんなオノさんの家系図と華麗なる一族をご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

オノさんは、1933年2月18日生まれ、
東京府(現・東京都)の出身、

身長157センチ、

血液型はO型、

本名は、ヨーコ・オノ・レノン(旧姓は小野洋子)、

学歴は、
自由学園幼稚園
⇒学習院初等科
⇒ロングアイランドのパブリックスクール(ニューヨークに転居)
⇒啓明学園初等学校(帰国)
⇒青南小学校(編入)
⇒学習院女子中・高等科
⇒学習院大学哲学科(中退)
⇒サラ・ローレンス大学(中退)

ちなみに、弟は、三菱商事に勤務していた小野啓輔さん、妹は、世界銀行に勤めた後に、彫刻家に転身した小野節子さんです。

母方の曾祖父は安田財閥の創始者・安田善次郎

現在では想像できない時代背景のため、まずは、オノさんの先祖のお話から。

オノさんの母方の曾祖父は、安田財閥の創始者である安田善次郎(やすだ ぜんじろう)さんです。


安田善次郎さん。

善次郎さんは、1838年、下級武士だったお父さんのもとに誕生するのですが、1858年、20歳の時には、奉公人として江戸に出ると、最初は玩具屋に勤め、やがて、鰹節屋兼両替商に勤めるようになったそうで、その後、25歳の時に独立すると、乾物と両替を営む「安田商店」を開業。

やがて、安田銀行(後の富士銀行で現在のみずほ銀行)を設立し、その後は、損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)、不動産会社(東京建物等)と、次々と設立すると、安田財閥は、当時の財閥、三井財閥、三菱財閥、住友財閥と並び、4代財閥のうちの一つに数えられるほど、実業家として大成功を収めるのですが、善次郎さんは、1921年、82歳の時、暗殺されています。

母方の祖父は安田財閥人で安田銀行総裁・安田善三郎

また、オノさんの母方の祖父は、安田財閥人で安田銀行総裁・(元・伊臣貞太郎)さんです。

安田善三郎さんは、実父は元宇和島藩士で実業家の伊臣忠一さんで、もともとは伊臣貞太郎だったのですが、安田善次郎さんの次女・暉子(てるこ)さん(オノさんの祖母)と結婚すると、同時に、安田家の婿養子に入り、「安田善三郎(やすだ ぜんざぶろう)」に改名。

1909年、善次郎さんが一線を退いた後は、善三郎さんが経営を主導し、安田銀行(現在のみずほ銀行)の総裁のほか、それに関連する30余の銀行や会社を掌握するなど、金融界の重鎮となったそうです。(高学歴の採用など、新しい方針を打ち出したそうです)


安田善三郎さん。

そんな善三郎さんは、東京府の多額納税者としての実績が認められ、1914年には、貴族院議員となると、1925年まで貴族院議員を11年7ヶ月務めたそうですが、その間、1919年には、経営方針を巡る善次郎さんと安田一族との確執により、安田家から離縁されたそうで、その後は、安田邸を出て、鎌倉に移り住み、61歳で他界されています。

父親は横浜正金銀行(現在の三菱UFJ銀行)の役員・小野英輔

そして、オノさんの父方の祖父は、元日本興業銀行の第4代総裁だった小野英二郎さんで、その息子というのが、東京帝国大学(現・東京大学)出身で、横浜正金銀行(後の東京銀行(現在の三菱UFJ銀行)の前身)の役員・小野英輔(おの ひですけ)さん(オノさんの父)です。


小野英輔さん。

英輔さんは、もともとピアニストだったそうですが、1927年、銀行家に転身し、横浜正金銀行に入行すると、1931年には、安田磯子さん(安田財閥人・安田善三郎さんと暉子さんの娘)と結婚。1933年には、長女・ヨーコさんが誕生したのでした。

その後、英輔さんは、1942年には、フランス領インドシナ横浜正金ハノイ支店副支配人になるのですが、1946年には帰国し、東京銀行本店に配属。1952年には、東京銀行ニューヨーク支店初代支店長を務めたのでした。

(1975年に、73歳で他界されています)

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家系図

それでは、最後に、オノ・ヨーコさんの家系図をご紹介します。

「オノ・ヨーコは幼少期から芸術教育を受けて育っていた!」に続く

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