1956年、映画「太陽の季節」でのデビュー以来、「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」ほか、数々の大ヒットを飛ばし、一気にスーパースターへと駆け上った、石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)さんですが、人気ゆえの追われる生活に、ノイローゼになって失踪されたこともありました。

「石原裕次郎の若い頃は兄・石原慎太郎のお陰でデビュー出来た?」からの続き

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「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」で大ブレイク

1956年、「狂った果実」で一躍スターダムに駆け上がると、その後も続けざまにヒットを連発した裕次郎さんは、1957年10月には、「俺は待ってるぜ」が大ヒット。


「俺は待ってるぜ」より。

これにより、石原さんは、映画スターとして不動の地位を築かれると、その年の年末に公開された「嵐を呼ぶ男」では、またまた、配給収入3億5600万円、観客動員数約594万人という、空前の大ヒットを記録。


「嵐を呼ぶ男」より。

また、石原さんは、この映画の主題歌も歌われているのですが、15日間で8万5千枚も売れたそうで、この凄まじさに、ついにレコード会社は他の歌手の新曲リリースを中止し、石原さんのレコードだけにかかりきりになったと言われています。


「嵐を呼ぶ男」

そして、その後も、石原さんのブームは、まだまだ続き、

1958年には、

「夜の牙」(1月)
「錆びたナイフ」(3月)
「陽のあたる坂道」(4月)
「風速40米」(8月)
「赤い波止場」(9月)
「紅の翼」(12月)

と、またしても、ヒットを連発したのでした。


「錆びたナイフ」より。


「紅の翼」より。

失踪~結婚も人気衰えず

その後、石原さんは、次第に、マスコミに追われる生活や過労からノイローゼになり、ついに、1959年3月には失踪されるのですが、

(ちなみに、石原さんの行くところには、マスコミの車60台と数百人のファンがついてまわっていたとも言われています。)

それでも、約2週間後には、映画「男が爆発する」で復帰し、その後も次々と映画に出演されると、


「男が爆発する」より。

1960年4月には、石原さんの相手役を数多く務め、かねてより交際がうわさされていた、女優の北原三枝さんと婚約を発表。

ただ、これで、いよいよ、石原さんの人気もおしまいかと思われたのですが、

その後も、

「あじさいの歌」
「青年の樹」

が、以前と変わらぬヒットを記録。

さらに、同年12月には北原さんと結婚されるも、


石原裕次郎さんと北原三枝さん。

同時期に公開された「闘牛に賭ける男」は、配給収入約3億円の大ヒットを記録するなど、結婚に左右されない、実力を見せつけたのでした。


「闘牛に賭ける男」より。

大ケガからの復帰

その後、石原さんは、翌年の1961年1月、志賀高原にスキーに行った際に衝突して右足を骨折してしまい、約半年の入院と療養をされるのですが、

それでも、映画「あいつと私」(9月公開)で復帰されると、復帰を待ち焦がれたファンが劇場に殺到し、ブーム絶頂期の時と同じ、配給収入4億円を達成。


「あいつと私」より。

続く、

「堂堂たる人生」(10月)
「アラブの嵐」(12月)

も、大ヒットを記録されたのでした。


「堂堂たる人生」より。芦川いづみさんと石原さん。

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ケガ・病気に悩まされた

ちなみに、石原さんは、堂々たるルックスとは裏腹に、幼い頃から、肝臓が弱かったほか、高校生の時には「黄疸」を発症したこともあるなど、体が弱く、

18歳の時には、バスケットボールで左膝に大ケガ

27歳の時には、スキー場で右足首粉砕複雑骨折(後に右太股腫性膿瘍の手術)

33歳の時には、映画「黒部の太陽」撮影時、出水事故で意識を失い、右手親指骨折して指紋は全部消え、左足も激しく痛める大ケガ

37歳の時には、「急性肺炎」「肺結核」

40歳の時には、階段で転倒し「左鎖骨骨折」

44歳の時には、「悪性腫瘍(舌癌)」(石原さん本人には告知されず)

45歳の時には、「舌下白板症」

47歳の時には、「解離性大動脈瘤」

50歳の時には、「肝臓ガン」(石原さん本人には告知されず)

51歳の時には、「肝内胆管炎」

52歳の時には、「肝性脳症」で幻覚症状⇒意識不明⇒死去

と、ケガと病気に苦しむ人生だったようです。

「石原裕次郎のデビューからの歌や出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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