1956年、「太陽の季節」で映画デビューすると、端役ながら主演がかすむほどの輝きを見せ、その後、「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」で大ブレイクした、石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)さん。今回は、そんな石原さんのディスコグラフィーや出演作品を画像を交えてご紹介します。

「石原裕次郎は昔ブレイク中に失踪してた?結婚後も人気は衰えず!」からの続き

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人気低迷と路線変更

映画「狂った果実」のヒット以来、破竹の勢いだった裕次郎さんも、1962年には、独壇場だった正月映画が、小林旭さんと浅丘ルリ子さん主演の、「渡り鳥北へ帰る」に取って代わられるなど、押され気味となると、

裕次郎さんは、年齢的にも肉体的にも、アクションものに限界を感じ始めたこともあり、

「銀座の恋の物語」(3月)
「憎いあンちくしょう」(7月)
「花と竜」(12月)


「憎いあンちくしょう」より。石原さん、芦川いづみさん、長門裕之さん。

など、次第にメロドラマに出演されるようになり、人気アクション俳優から、演技派俳優へと、路線を転換させていかれます。

「石原プロモーション」を設立

また、1963年には、「石原プロモーション」を設立し、プロデューサーと俳優の二足のわらじで活動するようになるのですが、

1968年に、黒四ダム工事の実録を映画化した、「黒部の太陽」が大ヒットを記録した以外はパッとしない状態が続きます。


「黒部の太陽」より。三船敏郎さん(左端)と石原さん(右端)。

そして、1970年代に入ると、日活がロマンポルノへと路線を変更したこともあり、ついに、裕次郎さんは、映画界から離れ、テレビ業界へと活動の場を移していったのでした。

出演作品(映画)

それでは、ここで、裕次郎さんのデビュー以来の主な出演作品をご紹介します。

映画では、

1956年「太陽の季節」
     「狂った果実」
     「乳母車」
     「地底の歌」
     「月蝕」
     「若ノ花物語」
     「人間魚雷出撃す」


「太陽の季節」より。(左から)南田洋子さん、石原裕次郎さん、石原慎太郎さん。


「狂った果実」より。石原裕次郎さんと北原三枝さん。


「人間魚雷出撃す」より。

1957年「お転婆三人姉妹 踊る太陽」
     「ジャズ娘誕生」
     「勝利者」
     「今日のいのち」
     「幕末太陽傳」
     「海の野郎ども」
     「鷲と鷹」
     「俺は待ってるぜ」
     「峠」
     「嵐を呼ぶ男」
     「心と肉体の旅」


「今日のいのち」より。


「俺は待ってるぜ」より。


「嵐を呼ぶ男」より。

1958年「夜の牙」
     「錆びたナイフ」
     「陽のあたる坂道」
     「明日は明日の風が吹く」
     「素晴しき男性」
     「風速40米」
     「赤い波止場」
     「嵐の中を突っ走れ」
     「紅の翼」


「錆びたナイフ」より。


「紅の翼」より。

1959年「若い川の流れ」
     「今日に生きる」
     「男が爆発する」
     「山と谷と雲」
     「世界を賭ける恋」
     「男なら夢を見ろ」
     「欧州駈けある記」
     「清水の暴れん坊」
     「天と地を駈ける男」
     「男が命を賭ける時」


「男が爆発する」より。

1960年「鉄火場の風」
     「白銀城の対決」
     「あじさいの歌」
     「青年の樹」
     「天下を取る」
     「喧嘩太郎」
     「やくざ先生」
     「あした晴れるか」
     「闘牛に賭ける男」


「闘牛に賭ける男」より。

1961年「街から街へつむじ風」
     「あいつと私」
     「堂堂たる人生」
     「アラブの嵐」


「あいつと私」より。


「堂堂たる人生」より。芦川いづみさんと石原さん。

1962年「男と男の生きる街」
     「銀座の恋の物語」
     「青年の椅子」
     「雲に向かって起つ」
     「憎いあンちくしょう」
     「零戦黒雲一家」
     「若い人」
     「金門島にかける橋」
     「花と竜」


「憎いあンちくしょう」より。浅丘ルリ子さんと裕次郎さん。

1963年「何か面白いことないか」
     「太陽への脱出」
     「夜霧のブルース」
     「太平洋ひとりぼっち」


「夜霧のブルース」より。

1964年「赤いハンカチ」
     「夕陽の丘」
     「鉄火場破り」
     「殺人者を消せ」
     「敗れざるもの」
     「黒い海峡」


「赤いハンカチ」より。

1965年「城取り」
     「青春とはなんだ」
     「泣かせるぜ」
     「素晴らしきヒコーキ野郎」
     「赤い谷間の決斗」

1966年「二人の世界」
     「青春大統領」
     「夜霧の慕情」
     「夜のバラを消せ」
     「帰らざる波止場」
     「栄光への挑戦」
     「逃亡列車」


「夜霧の慕情」より。桑野みゆきさんと裕次郎さん。

1967年「夜霧よ今夜も有難う」
     「嵐来たり去る」
     「波止場の鷹」
     「東京の田舎っぺ」
     「君は恋人」
     「黄金の野郎ども」

1968年「遊侠三国志・鉄火の花道」
     「黒部の太陽」
     「昭和のいのち」
     「忘れるものか」


「黒部の太陽」より。裕次郎さんと三船敏郎さん。

1969年「風林火山」
     「栄光への5000キロ」
     「人斬り」
     「嵐の勇者たち」

1970年「富士山頂」
     「待ち伏せ」
     「ある兵士の賭け」
     「スパルタ教育くたばれ親父」
     「戦争と人間(1部)」

1971年「男の世界」
     「甦える大地」
1972年「影狩り」
     「影狩り・ほえろ大砲」


「男の世界」より。沖雅也さんと裕次郎さん。

1973年「反逆の報酬」
1976年「凍河」
1982年「わが青春のアルカディア」
1984年「アゲイン」
     「零戦燃ゆ」

出演作品(テレビドラマ)

テレビドラマでは、

1958年「ダイヤル110番」
1964年「小さき闘い」
1965年「結婚について・祝婚」
1969年「黒部の太陽」
1972年「太陽にほえろ」
1974年「座頭市物語」
1975年「痛快!河内山宗俊」


「太陽にほえろ!」より。

1976年「新・座頭市」
1976年「大都会」
1977年「大都会 闘いの日々」
1977年「大都会 PARTII」
1978年「大都会 PARTIII」
     「浮浪雲』第二十回」


「大都会」より。(左から)松田優作さん、渡哲也さん、石原さん。

1979年「西部警察」シリーズ
1979年「西部警察 PART-I」1
1982年「西部警察 PART-II」
1983年「西部警察 PART-III」
1980年「俺たちの明日〜坂本竜馬、中岡慎太郎!!幕末に散った壮絶な青春」
1989年「ゴリラ・警視庁捜査第8班」


「西部警察」より。

ほか、数多くの作品に出演されています。

ちなみに、裕次郎さんは、メイン活動をテレビへと移されてからは、1972年に「太陽にほえろ!」(東宝テレビ部制作)で主役の七曲署捜査一係係長・藤堂俊介役を演じられた後は、

1976年~1979年の「大都会」シリーズ(石原プロ制作)、1979年~1983年の「西部警察」シリーズ(石原プロ制作)では、主演を渡哲也さんに据え、石原さんは助演として、渡さんのサポートに徹するようになられています。

歌手としてもヒット連発

また、裕次郎さんは、歌手としても数多くのヒットを飛ばしており、総売上は、シングル(レコード+カセット+CD)で4567万枚179億円、アルバム(レコード+カセット+CDほか)で6960万枚737億円と、とてつもない数字を記録されています。

1956年「狂った果実」(190万枚)
1957年「俺は待ってるぜ」(193万枚)
     「錆びたナイフ」(175万枚)
1958年「嵐を呼ぶ男」(62万枚)
1961年「銀座の恋の物語」(335万枚)


「狂った果実」


「嵐を呼ぶ男」


「銀座の恋の物語」

1962年「赤いハンカチ」(275万枚)
1963年「夕陽の丘」(140万枚)
1964年「俺はお前に弱いんだ」(175万枚)
1965年「二人の世界」(285万枚)
1966年「夜霧の慕情」(170万枚)


「赤いハンカチ」


「二人の世界」

1967年「夜霧よ今夜も有難う/粋な別れ」(255万枚)
1969年「港町 涙町 別れ町」(42万枚)
1971年「サヨナラ横浜」(53万枚)
1972年「恋の町札幌」(65万枚)
1974年「別れの夜明け」(62万枚)


「夜霧よ今夜も有難う/粋な別れ」

1977年「ブランデーグラス」(152万枚)
1979年「みんな誰かを愛してる」(40万枚)
1983年「おれの小樽」(43万枚)
1987年「北の旅人」(125万枚)
     「わが人生に悔いなし」(85万枚)


「ブランデーグラス」

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死因は肝臓ガン

こうして、俳優としても歌手としても大成功した裕次郎さんですが、幼い頃から、体が弱かったこともあり、40代半ば頃から顕著に病状が悪化すると、47歳の時には、「解離性大動脈瘤破裂」と診断され、生存率3%とされた手術を敢行。

幸い、この手術は成功し、九死に一生を得られるのですが、その後も入退院を繰り返し、1987年7月17日、52歳で「肝細胞ガン」により他界されたのでした。


石原さんの葬儀より。

さて、いかがでしたでしょうか。

石原裕次郎さんの、

  • 生まれは?身長は?本名は?
  • 高校の時はバスケットで五輪目指すもケガで断念
  • 兄・石原慎太郎原作の映画「太陽の季節」でデビュー
  • 「狂った果実」でスターダムに
  • 「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」で大ブレイク
  • 失踪~結婚も人気衰えず
  • 大ケガからの復帰
  • ケガ・病気に悩まされた
  • 人気低迷と路線変更
  • 「石原プロモーション」を設立
  • 出演作品(映画)
  • 出演作品(テレビドラマ)
  • 歌手としてもヒット連発
  • 死因は肝臓ガン

について、まとめてみました。

日本国民を熱狂させた、戦後最大のスーパースター石原裕次郎さん。

裕次郎さんの他界当時は、日本中が「石原ロス」に見舞われ、「裕次郎シンドローム」と言われるほど、国民が大きなショックを受けたそうですが、もう、このような存在は、二度と現れないかもしれませんね。

そんなスーパースター石原裕次郎さんの出演作品を、この機会にご覧になってはいかがでしょう。

裕次郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

「石原裕次郎の若い頃は兄・石原慎太郎のお陰でデビュー出来た?」

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