1962年、29歳の時には、(夫の一柳慧さんが単身帰国してしまい)すさんだニューヨークでの生活を見かねた日本の家族により日本に呼び戻されるも、帰国後は自殺を図り、東京の精神病院に入れられていた、オノ・ヨーコさんですが、そんな中、毎日花束を持って面会を申し込んでくれる男性が現れます。

「オノ・ヨーコが若い頃は自殺を図り精神病院に入れられていた!」からの続き

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2番目の夫はジャズミュージシャンで映像作家のアンソニー・コックス

精神病院に入院すると、ますます孤独を募らせていったというオノさんですが、そんな中、毎日花束を持って面会を申し込んでくれる男性が現れたそうです。

その男性とは、アメリカのジャズミュージシャンで映像作家のアンソニー・コックス(Anthony Cox)さんで、アンソニーさんは、ニューヨークでオノさんの作品を観て感銘を受け、オノさんに憧れて日本まで追いかけてきたのですが、オノさんを励まし続けたそうで、

オノさんは、そんなアンソニーさんに救われ、やがては、精神病院を退院し、二人は交際に発展。ほどなくして、オノさんが妊娠していることが分かると、オノさんは、別居していた夫の一柳慧さんとは離婚することになり、一柳さんとの離婚が成立後の1963年6月6日、晴れて、アンソニーさんと再婚し、同年8月には女の子を出産したのでした。


(左から)オノさん、娘のキョーコさん、夫のアンソニー・コックスさん。

「カット・ピース(Cut Piece)」「グレープフルーツ(Grapefruit)」を発表

その後、オノさんは、観客にオノさんの服をハサミで切り取らせる、「カット・ピース(Cut Piece)」(1964)というパフォーマンスや、言葉による作品集「グレープフルーツ(Grapefruit)」(1964)などの作品を発表するのですが、

当時の日本は、まだ、前衛芸術という概念がなかったことから、作品に対する評価は低く、評論家に批判され、オノさんは、またしても、ノイローゼ気味になるなど、辛い日々を過ごしたのだそうです。

「カット・ピース(Cut Piece)」では服だけでなく下着も切らせていた

ちなみに、この「カット・ピース(Cut Piece)」は、ただ座っているだけのオノさんの服を、観客がハサミでズタズタに切り裂いていくパフォーマンスなのですが、

作品の主体は、服を切られるオノさんでも、ハサミで服を切る観客の姿でもなく、その場に居合わせた全ての人の頭の中にある想像だそうで、

服をズタズタに切り裂かれるオノさんにハサミを持って向かっていく時の気持ち、ハサミで服をズタズタにされる時の気持ちなど、サディスティックになったり、マゾヒスティックになったりする、観客それぞれの気持ちや想像などが作品なのだそうです。


「カット・ピース(Cut Piece)」

(この「カット・ピース(Cut Piece)」では、下着まで切り取らせており、オノさんは、たくさんのお客さんの前でヌードになっているのですが、恥ずかしかったのは最初だけで、その後は、堂々と下着を切り取らせていたとのこと。そして、オノさんは、なんと、2003年、70歳の時にも再演しています)

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再びニューヨークに戻るとやがてロンドンに拠点を移す

さておき、そんなオノさんは、1964年には、夫のアンソニーさんと共に、評価されることのない東京を去り、ニューヨークに再び舞い戻って、アーティスト活動を再開。

(アンソニーさんは、プロモーターとして、オノさんの前衛芸術活動をサポートするようになっていったそうです)

そして、1966年には、イギリス・ロンドンの現代芸術協会に招かれてイギリスに渡り、アバンギャルド会議に出席すると、この際、活気あるロンドンの若者のカルチャーに触れたそうで、このことをきっかけに、アンソニーさんのサポートのもと、活動の場をロンドンに移したのでした。

「オノ・ヨーコとジョン・レノンの馴れ初めは?」に続く

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