1969年11月、「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」で白縫姫役を演じて好評を博すも、原作者で演出もした三島由紀夫さんからは不満を抱かれていたという、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、それでも、三島さんには、その美しさを讃えられ、これからの歌舞伎界を背負う存在として、大きな期待を寄せられていたといいます。

「坂東玉三郎は三島由紀夫を落胆させていた?」からの続き

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三島由紀夫から戯曲集「サド侯爵夫人」の限定版をプレゼントされていた

「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」の公演が終わると、坂東さんは、三島さんから、

『椿説弓張月』の限定版を君にあげたい

と、言われ、三島さんの自宅を訪ねて行ったそうですが、

その本はいくら探しても見つからず、三島さんはその代わりに、

美しい十代の思い出のために、これを君にあげる

と、三島さんの戯曲集「サド侯爵夫人」(1967)の限定版をくれたそうで、

坂東さんは、その時のことを、

実は、三島先生とは当時、それほど交流というのはなかったのですよ。先生はお目にかかってから数年で亡くなられていますでしょう。

ただ、『椿説弓張月』が終わってしばらくしてから、ごあいさつに伺いましたら、ご自分が書かれた戯曲『サド侯爵夫人』の装丁本をお出しになって、「君は将来これをやるから君が持っていなさい」と、その本をくださったのです。

慌てて、うちで読んだのですけど、当時、まだ20歳でしたから、あまりにも文学的に深く入り組んだ作品でしたので、内容をしっかり理解していなかったと思います。舞台で初めて演じたのは、それから10年以上たった33歳のときでした。

と、語っています。

(坂東さんと三島さんは、稽古や打ち合わせでは度々会っていたものの、親しく話をしたのはたったの2回ほどだったそうで、そのうちの1回がこの本をもらった時だったそうです)

戯曲集「サド侯爵夫人」限定版は現在高値で取引されている

ちなみに、坂東さんがもらった「サド侯爵夫人」限定版は、天金、ベルベット装函、外箱付で、当時、限定380部、定価12000円と、「椿説弓張月」限定版よりもずっと豪華で高価だったそうで、

(2022年現在、古書店で12万~15万円の値がついています)

もしかしたら、三島さんは、はじめから、この「サド侯爵夫人」を坂東さんにあげるつもりだったのかもしれません。


「サド侯爵夫人」限定版。三島さんのサイン入りです。

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三島由紀夫は坂東玉三郎の女方を高く評価していた

そんな三島さんは、他界する3ヶ月前の1970年8月、坂東さんがお三輪(みわ)役を演じた「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」を観劇しているのですが、

三島さんは、「妹背山婦女庭訓」の公演プログラムに、

女方は歌舞伎の花である。 老練な偉大な女方が必要な一方では、莟(つぼみ)の花の若女形がゐなければ歌舞伎は成立たぬ。 しかし今の時代に、このやうな花は、培はうとしても土壌がなく、ひたすら奇蹟を待ちこがれるほかはない。

その奇蹟の待望の甲斐あって、玉三郎君といふ、繊細で、優婉な、象牙細工のやうな若女形が生れた。 歌舞伎といふものの異常な生命力の認しである。

痩せてゐるのに、傾城もできる「ぼんじゃり」とした風情があり、なよやかでありながら、雲の絶間姫もやれる芯の強さやお茶っぴい気分もある。

この人のうすばかげろうのやうな体が、舞台の上でしなしなと揺れるときに、或る危機感を伴った抒情美があふれ出る。そして何よりも大切なのは、その古風な、気品のある美貌なのである。

美貌が特権的に人々の心をわしづかみにする、この力を歌舞伎が失ったら、老優の深い修練の芸の力のみで歌舞伎を維持できるものではない。

世阿彌以来、日本の芸道は、少年の「時分の花」と、老年の「まことの花」とが、両々相俟って支えてきたのである。玉三郎君という美少年の反時代的な魅惑は、その年齢の特権によって、時代の好尚そのものをひっくりかへしてしまう魔力をそなえてゐるかもしれない。

と、文章を寄せているほか、

「妹背山婦女庭訓」公演終了後には、一緒に観劇した中村哲郎さんや高橋睦郎さんに、

今晩、世界じゅうでずいぶん沢山の芝居がかかっていると思うが玉三郎のお三輪(みわ)よりも美しいヒロインはいないね。断言していい

と、語っており、

三島さんは、一度は距離を置いた歌舞伎を、自身の死後は坂東さんに託そうという思いがあったのではないか、と言われています。

「坂東玉三郎は市川海老蔵(12代市川團十郎)と海老玉コンビで人気を博していた!」に続く

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