作家・三島由紀夫さんに贔屓にされ、三島さん作・演出の舞台「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」で白縫姫役を演じて、好評を博した、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、実はこの白縫姫役、もともとは三島さんが希望した配役ではなかったといいます。
「坂東玉三郎が若い頃は三島由紀夫の「椿説弓張月」で人気を博していた!」からの続き
「椿説弓張月」の白縫姫役への起用はやむを得ずだった
国立劇場での担当者だった織田紘二さんによると、実は、「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」の白縫姫役は、坂東さんではなく、もともとは別の俳優が演じる予定になっていたそうですが、
「椿説弓張月」が上演された1969年11月は、歌舞伎座で市川海老蔵(現・12代目市川團十郎)さんの襲名公演が予定されていたため、メインの役者たちはみんな歌舞伎座に出ることになり、三島さんが希望するキャスティングができなかったそうで、
そんな中、坂東さんは、松竹にとって重要な役者ではなかったため、市川海老蔵さんの襲名披露公演に出演する予定もなく、国立劇場への出演が可能だったことから起用されたのだそうです。
(織田さんは、もともと三島さんが希望していた役者の名前は明かしていません)
三島由紀夫は「椿説弓張月」の公演後も落胆していた
そして、実際に、「椿説弓張月」が公演された後も、三島さんは、小説家で文芸評論家の石川淳さんとの対談で、
僕は悪戦苦闘しましたが、哀れですね。作者というものは
と、落胆しており、満足できる結果ではなかったようです。
三島由紀夫は坂東玉三郎の白縫姫役に期待していたが・・・
というのも、三島さんがこの芝居で最も観たかったシーンは、裏切り者の武藤太(市川段四郎さん)が腰元らになぶり殺しにされるのを、坂東さん演じる白縫姫が琴を弾きながら平然と眺めているシーンだったと言われており、
「曾我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」では、なぶり殺しにされる役を演じた坂東さんに、今回の「椿説弓張月」では、それとは正反対の、なぶり殺しにする側の役を演じることを期待していたのだそうです。
(雪が降りしきる中、後ろ手に縛りつけられた武藤太が、竹釘を木槌で打ち込まれ、そのたびに飛び散った血が雪を真っ赤に染めるのを、白縫姫がずっと琴を奏でながら眺めているという凄惨なシーン)
三島由紀夫は坂東玉三郎演じる白縫姫役に不満を抱いていた
しかし、稽古の段階で、坂東さんは、この琴を弾くシーンを三島さんが満足するようにできなかったそうで、
三島さんは、翌年の1970年7月9日の武智鉄二氏との対談で、
玉三郎にいろいろ形をつけたんですけど、琴をサーッと弾くでしょう。そのとき、キュッと面を切れと言ったけど、 どうしてもできない
と、語っており、
武智氏が、
息がつんでいない(息を詰めていない)からね
と、指摘すると、
三島さんは、
どうしてでしょうか。 ぐにゃぐにゃ、こうなっちゃう
女はグニャグニャしていると思っているんだね
と、嘆いていたのだそうです。
三島由紀夫は公には坂東玉三郎に賛辞を送っていた
また、三島さんは、「椿説弓張月」について、
剛健なものが何もなかった
とも、語っていたそうですが、
それでも、三島さんは、公の文章では、
山塞の場の白縫姫の冷艶、かよわい美のみが持つ透明な残酷さなどは、正に私が狙ったものそのもので、ときおり、舞台を見ていて私は戦慄を感じた
と、坂東さんに賛辞を送っています。
(その後、三島さんは、「グニャグニャしたもの」しかない歌舞伎全体に対して絶望し、最後の希望を、完全に男性のみの世界で構築されている文楽に託すべく、「椿説弓張月」を文楽の浄瑠璃台本に書き直す作業に着手するのですが、未完のまま、1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)で自決しています)
「坂東玉三郎は三島由紀夫に女方を高く評価されていた!」に続く