1936年、わずか2歳8ヶ月の時に、映画「江戸っ子 健ちゃん」で子役デビューすると、以降、複数の役で7色の声を使い分けるなど、天才子役として名を馳せ、その後も、テレビドラマ、映画、舞台と幅広く活動している、中村メイコ(なかむら めいこ)さん。そんな中村さんの学歴は「小学校卒」だそうですが、今回はその理由をご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?芸名の由来は?

中村さんは、1934年5月13日生まれ、
東京都杉並区下高井戸の出身、

身長153センチ、

血液型はO型、

ちなみに、中村さんの本名は「神津五月(こうづ さつき)」(戸籍上は「神津五月」)なのですが、幼い頃から、家族からも「さつき」と呼ばれたことはなく、(5月は英語でMayであることから)「メイ」「メイコちゃん」と呼ばれていたそうで、そのまま芸名になったのだそうです。(旧芸名は「中村メイ子」)

学歴が小学校卒の理由とは?

ところで、中村さんの学歴は「新宿区立市谷小学校卒」なのですが、これは、中村さんのお父さんが、もともと、何もかも一律の、学校教育を嫌っていたうえ、1941年からは、戦争教育となったことから、「この大事な新鮮な脳みそを戦争はいいことだなんて教育されてたまるものか」と怒って、ますます学校教育が嫌いになったからだそうで、

それでも、小学校くらいなら仕方ないと、暇な日だけ、小学校に行ってもいいと言われていたそうですが、結局、小学校にもあまり通わなかったそうです。

また、中学校にも行かず、お父さんからマンツーマンで勉強を教えてもらっていたのだそうです。

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父親はナンセンス(ユーモア)作家の中村正常

そんな中村さんのお父さんは、ナンセンス(ユーモア)作家の中村正常(なかむら まさつね)さんで、昭和初期、モボ(モダン・ボーイ)やモガ(モダン・ガール)の軽妙な対話を中心に構成される物語を相次いで発表し、その軽快でユーモアあふれる文体は、ナンセンス文学ブームを巻き起こしたそうで、作家の井伏鱒二さん(「山椒魚」等の著者)らとともに、モダンな文化を牽引(けんいん)したそうです。

ただ、太平洋戦争が始まると、ユーモアは不要とされたため、正常さんは(戦争文学は書きたくなかったこともあり)筆を絶ち、戦後も文壇から距離を置き続けたため、作品は少ないそうです。(著書に「隕石の寝床」「ボア吉の求婚」など)

「中村メイコの幼い頃の育てられ方が凄い!」に続く

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