2歳の時、売れっ子作家だったお父さんと写った写真が雑誌に掲載されたことがきっかけでスカウトされ、1936年、2歳8ヶ月にして、朝日新聞の連載漫画「フクちゃん」を実写化した「江戸っ子 健ちゃん」の「フクちゃん」役でデビューすると、たちまち”天才子役”として脚光を浴びた、中村メイコ(なかむら めいこ)さんは、1940年、6歳の時には、テレビ放送黎明期のテレビ番組にも出演するようになります。

「中村メイコは2歳で映画デビューしていた!」からの続き

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6歳の時にはNHKの実験放送でTVドラマデビューするも一時的に目が見えなくなっていた

1936年、2歳8ヶ月にして、「江戸っ子 健ちゃん」で映画デビューした中村さんは、1940年、6歳の時には、NHKで実験放送されたテレビドラマ第2作目「謡と代用品」(10月放送)でテレビデビューも果たしているのですが、


「謡と代用品」より。(左から)荒木道子さん、中村さん、坂本猿冠者さん。

当時、カメラは戦車のように大きくて物々しく(大きな四輪のアイコノスコープカメラで、「軍艦」と呼ばれていたそうです)、カメラマン、照明スタッフなどは、みな白衣を着ていたそうで、レントゲンでも撮られるのかと、幼い中村さんは、少し怖かったそうです。


白衣姿のカメラマンに撮影される中村さん。

また、照明の光が強かったことから、中村さんが7歳の時には、そのせいで、一時的に目が見えなくなり、京都の病院に入院したこともあったのだそうです。

(幸い、3ヶ月後に回復したそうですが、入院中は、病室で毎日ラジオを聴いていたそうで、子供心にも、このまま目が治らなければ、ラジオのお仕事をしようと思っていたのだそうです)

生え抜き初のNHK会長・坂本朝一に面倒を見てもらっていた

一方、テレビに出演して良かったこともあったそうで、朝ドラの生みの親で、生え抜き初のNHK会長になった坂本朝一さんがステージまでおぶってくれたり、台本の漢字にふりがなをふってくれたりして、面倒を見てくれたほか、

当時、テレビ放送は、都内のデパートなどに設置された街頭テレビジョンで見ることができたため、おばあちゃんが、孫(中村さん)の姿をブラウン管を通して見れ、とても喜んでくれたそうです。

(おばあちゃんは、とても感動していたそうです)

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テレビ黎明期にNHKのコメディ番組「今晩わメイコです」に出演

その後、1950年頃から定期的な試験放送が始まり、1953年2月には本放送が始まると、NHKテレビが正式に開局したそうですが、中村さんは、1954年から、20分のコメディ番組「今晩わメイコです」に出演したのでした。

「中村メイコは「テレビ朝日」開局当初からTV出演していた!」に続く


「今晩わメイコです」より。(右が中村さん(当時20歳))

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