1940年、6歳の時に、NHK実験放送の第2作目のテレビドラマ「謡と代用品」でテレビデビューを果たすと、1954年には、20分のコメディ番組「今晩わメイコです」に出演した、中村メイコ(なかむら めいこ)さんは、その後、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が開局すると、「宰相登場」「メイコのごめんあそばせ」などにも出演し、黎明期のテレビ番組を支えます。

「中村メイコは6歳の時「謡と代用品」でTVドラマデビューしていた!」からの続き

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日本教育テレビ(テレビ朝日)開局当初の「メイコのごめんあそばせ」にも出演

1959年には、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が開局すると、中村さんは、開局と同時にスタートした、トーク番組「メイコのごめんあそばせ」で司会進行役を担当したそうですが、

(平日夜の9時45分から15分の生番組だったそうです)

試験放送は、生放送で、「今日もうまく画面が出ません」ということも多く、せっかく準備して臨んだにもかかわらず、帰らされることも、しょっちゅうあったそうです。

ただ、テレビは新しいことの連続だったため、躍動感やいい意味での緊張感があり、楽しかったそうです。

トーク番組「メイコのごめんあそばせ」には元内閣総理大臣の吉田茂も出演していた

ちなみに、このトーク番組「メイコのごめんあそばせ」には、芸能人だけではなく、元総理大臣の吉田茂さんが出演したこともあったそうですが、

吉田さんは、(15分番組という短い番組だったにもかかわらず)遅刻してきたそうで、やっとスタジオに到着したと思ったら、犬を連れていて、そのうえ、不機嫌で、あまりしゃべってくれなかったそうです。

ただ、番組が終わった途端、たくさん話をしてくれたのだとか(笑)

テレビ番組「宰相登場」では中曽根康弘に参院選出馬を熱心に口説かれていた

また、日本教育テレビでは、開局当時、「宰相登場」という番組があり、中村さんは、アシスタントを務めていたそうですが、

終戦後すぐの総理大臣・東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)さんから始まり、歴代の総理大臣が全員出演したそうで、中曽根康弘さんが出演した際には、参議院議員選挙に出馬しないかと熱心に口説かれたそうです。

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元内閣総理大臣の田中角栄と親しかった

また、田中角栄さんとは、特に親しかったそうで、中村さんは、ある年の年末、(いただきものの)ピーナッツの一番大きな箱を、何の気なしに、田中さんの事務所に持っていったことがあったそうですが、

田中さんは、ちょうど、「ロッキード事件」の真っ最中だったそうで、さすがに、それは、今でも、「まずかったかもしれない」と思っているそうです(笑)

(※インタビューでは「ロッキード事件」とは言っておらず、伏せられていました)

ちなみに、田中さんは、「春になったら会おうじゃないか。かわいいメイコに春の帯」と書いた色紙をくれたことがあったそうですが(春の帯をプレゼントしてくれるつもりだったそうです)、春になる前に亡くなってしまい、それは叶わなかったそうです。

「中村メイコは天才子役と呼ばれていた!」に続く

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