2019年4月4日、50年連れ添った夫・相澤英之さんを亡くすと、その後も、次々と親しい人が亡くなり、ショックから一時は入院していたという、司葉子(つかさ ようこ)さんですが、やがて、回復すると、相澤さんの書庫を整理しようと思い立ったそうですが・・・

「司葉子の夫・相澤英之は99歳で他界していた!」からの続き

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相澤英之の書庫には膨大な数の書籍があった

元気を取り戻した司さんは、ふと、自宅の地下にある相澤さんの書庫を整理しようと思い立ったそうで、ちょっと様子を見てみようと入ったそうですが、なんと数万冊に及ぶ書籍があり、その膨大な量に圧倒されたそうです。

というのも、司さんは、相澤さんの生前、ほとんどこの書庫に足を踏み入れたことがなく、書庫がどのようになっていて、どのようなジャンルの本があるのか、はっきりと分からなかったそうですが、

書庫には、図書館にあるような可動式の書架が12台もあり、そこには本がぎっしりと積まれ、さらに、床にも山積みされていたのだそうです。


相澤さんの書庫の一角。

大蔵省官僚時代の資料はじめ様々なジャンルの書籍があった

ちなみに、本のジャンルはというと、(相澤さんは長らく国の予算作成に携わっていたため)財務に関する資料、歴代総理大臣たちの記録、報告書などのほか、文学、歴史、哲学、演劇、自然科学など政治の仕事とは関係ない書籍、古新聞(全国紙だけでなく各地の地方紙まで)、司さんの若い頃のブロマイドやカレンダー、表紙を飾った雑誌の切り抜きのコレクションまであったそうですが(笑)、

(相澤さんは、戦後、シベリアで3年間抑留されており、その間、読書ができなかった反動から、少しでも気になった本は迷わず買うようにしている、と言っていたそうです)

司さんは、当初、この膨大な書籍を前に、いくら体調が戻ったとはいえ、とても一人で整理する気がせず、途方に暮れていたそうですが、

ふと、新聞社にこの書庫を取材してもらうことを思いついたそうで、記事が掲載されると、国やNHKから「資料の調査をしたい」と申し出があったのだそうです。

(ただ、国やNHKからは、「調査が終わるまでは絶対に捨てないでください!」と担当者から強く言われたそうで、司さんはそれまで自分が生きていられるか不安になったそうです)

背広50着はすべて舞台演出家に引き取ってもらう

さらに、書籍以外にも、ゴルフ道具、(相澤さんは写真を撮ることが趣味だったため)カメラの機材、撮影した写真を収めたアルバムのほか、洋服もたくさんあったそうですが、

(相澤さんが撮影した写真を司さんが選び、その写真でカレンダーを作って周囲の人々にプレゼントしていた時期もあったそうです)

洋服は、舞台演出家の人が、衣装として使わせてほしいと50着ほどあった背広をすべて引き取ってくれたそうで、

司さんは、

自分の服が舞台上で生き続けてくれたら、夫もどんなに喜ぶか。きっと役者さんに、掛け声をかけることでしょう。

と、語っています。

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断捨離よりも必要な人にもらってもらいたい

こうして、相澤さんの遺品を整理していたという司さんですが、人が一人亡くなると、多くのものが残ることを実感したそうで、将来、子供たちにかける負担を考えると、自身が持っている物(思い入れのある台本や衣装など)も思い切って整理をしようかとも思ったそうですが、

夫は、自分が関わったすべてのことに対して、一所懸命な人でした。彼が一生かけて集めた本や仕事の足跡を無下にすることはできません。

たとえどんなに時間がかかったとしても、わが家の蔵書が歴史や政治研究のうえでお役に立つなら、きっと彼も本望だと思います。

最近は、「物を持たない」ことがいいとされますが、「置き場に困ったから」「興味がなくなったから」「使い道がないから」などという理由だけで処分してしまっていいのかしら。

探せば、欲しがってくれる人がいたり、資料としての価値があったり、使い道が見つかったりするかもしれない。「ぎりぎりまで努力してみよう」と考えると、まだまだ死ねませんね・・・

夫の持ち物の落ち着き先を見つけ終えるまでには、しばらく時間がかかるでしょう。でも、ときどきふっと思うんです。ある日突然、夫と私の荷物をそっくり全部引き取ってくださる人が現れたら、どんなにいいか・・・って(笑)

そのときは、「大事にしてくださるのなら、喜んで差し上げます」とお答えしようと思います。

と、語っています。

「司葉子の子供は?三男の妻は元Winkの相田翔子!」に続く

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