アキレス腱を切断し、4ヶ月の療養期間を経た1985年1月、ようやく、「8時だョ!全員集合」に復帰した、高木ブー(たかぎ ぶー)さんですが、同年9月に、「8時だョ!全員集合」が放送終了となると、その後は、役者として、劇作家・別役実さんの二人芝居に出演するようになったといいます。
「高木ブーはアキレス腱切断で「8時だョ!全員集合」を辞めようと考えていた!」からの続き
「8時だョ!全員集合」に復帰もほどなくして放送終了
1984年9月、「8時だョ!全員集合」の体操コーナーのリハーサル中、アキレス腱を切断するという大ケガを負ってしまうと、早く復帰しなければと思う一方で、また毎週生放送をしなければならないと思うと、辞めてもいいかと考えたこともあったという高木さんですが、
いかりや長介さんにその旨伝えると、引き止められたことから、翌年の1985年1月には、「8時だョ!全員集合」に復帰。
以来、
こうなったらどうにでもなれ。行けるところまで流されて行こう。そのうちどこかに流れ着くだろう。
との気持ちで、一心に、番組に打ち込んでいたそうですが、
そんな「8時だョ!全員集合」も、時代の流れから、同年9月に放送が終了してしまいます。
(「ザ・ドリフターズ」自体は解散していません)
劇作家の別役実にスカウトされ二人芝居に出演
すると、その後、間もなく、劇作家の別役実さんから声をかけられたそうで、高木さんは、別役さんが脚本を手掛ける二人芝居に俳優として出演しているのですが、実は、マネージャーからオファーを聞いた当初は、断ろうと思っていたのだそうです。
ただ、マネージャーに、とりあえず話を聞こうと言われ、別役さんに会いに行くと、話がほぼ決まっていて断りづらい雰囲気になっていたそうで、
最終的には、
確かにいい経験だし、これから役者っていう道もあるかもしれないな
と、思い、オファーを受けることにしたのだそうです。
膨大なセリフの量に呆然としていた
こうして、高木さんは、別役さんの二人芝居「湯たんぽを持った脱獄囚~求むな、されど与えられん~」に出演することになったのですが・・・
(別役さんは毎年6月、奥さんで女優の楠侑子さんの相手役の俳優を一人招き、渋谷の「ジァン・ジァン」で二人芝居の公演をやっていたそうで、この公演では、高木さんが楠さんの相手役だったそうです)
もともと、台本を覚えることが苦手だった高木さんは、
(「8時だョ!全員集合」の時には「あー」とか「うわー」とか言っていただけだったとのこと(笑))
3センチくらいある台本を手渡され、
どうすんだよ、これ
と、呆然としたのだそうです。
セリフを覚えるのに毎日必死だった
さらに、別役さんのお芝居は、言語によるコミュニケーションは不毛であるという考えの「不条理演劇」だったことから、言葉を切り詰め、セリフの意味をなくすこともしばしばあり、何の脈絡もなく、セリフがあっちこっちへ飛んでいて覚えづらかったそうで、高木さんは、奥さんに相手役をやってもらいながら、毎日、必死で練習していたそうですが、
後に、娘さんから、
(台本を握りしめながら)このまま電車に飛び込んじゃおうかな
と、自身が言っていたことを聞いたそうで、
そんな言葉が出るほど、追い詰められていたのだそうです。
「高木ブーは「8時だョ!全員集合」終了後は役者になろうとしていた!」に続く