いよいよ、拷問が始まるのではという時、いざとなれば舌を噛み切って死のうと決心するも、ふと、家族のことが気にかかり、家族の命は救って欲しいと、涙ながらに土下座して訴えると、その姿が気に入られ、釈放されることになったという、森繁久彌(もりしげ ひさや)さんは、その後、無事、家族の待つ家に戻ることができたといいます。
「森繁久彌が釈放されシベリア行きを免れた理由とは?」からの続き
ソ連兵に持ち物すべてを提供していた
家族の命は救って欲しい旨、涙ながらに土下座して訴えると、憲兵中尉から(通訳を介して)、
なるほど、こいつは芸術家だ。泣くのが上手いわい
話はすんだ、釈放する
と、言われた森繁さんは、その後、1人取り残されたそうですが、
2時間ほど経つと、通訳(菓子屋の主人)がやって来て、
シベリアへ行きたくないか?
と、耳元で囁(ささや)かれたそうで、
森繁さんが、
勿論だ。私は、たとえ祖国に帰れなくとも、家族の待つ家には帰りたい
と、答えると、
通訳(菓子屋の主人)からは、
あんたの持っているものを、交換できるか
と、言われたそうで、
これに対し、一瞬、森繁さんは、何のことを言っているのか分からなかったそうですが、すぐに理解すると、真新しい軍のコート、防寒靴、防寒帽、ウォルサムの腕時計(菓子屋の主人はこれが一番欲しかったようです)、まとまったお金、毛糸のジャケットなど、すべてを提供したのだそうです。
映画のワンシーンのように裏口に待っている馬車で脱出していた
すると、菓子屋の主人は、石炭を一燻(ひとくべ)し、身を刺すような寒さに震えている森繁さんを残して、荷物をひとまとめにして部屋を出て行くと、
(森繁さんは、その時、寒さに震えながらも、ホッとして、一縷(いちる)の希望が湧き上がってくるのを感じたそうです)
やがて、薄汚れたコートを一着持って戻ってきて、森繁さんに羽織らせ、ついて来るように言ったそうで、
森繁さんがそれに従うと、そこには、それまで見せたこともない笑顔の中尉が森繁さんを迎え、
話はすんだ、釈放する
と、言い、紅茶にたくさんの砂糖を入れて、飲むように勧めてきたそうで、
森繁さんが、紅茶を飲み、お礼を言おうとすると、
菓子屋の主人に、
何も言わないでいい。裏口に馬車が待っている
と、言われたのだそうです。
(それは、まるで映画のワンシーンのようだったそうです)
無事に帰宅し妻と抱き合う
こうして、馬車に乗り込んだ森繁さんは、凍りついた道を、まるで、追われる者のように飛んで帰ったそうで、
(その時、午前3時を少し回っていたそうですが、この時ほど、馬車が遅いと思ったことはなかったそうです)
ようやく家に到着すると、思い切り家の戸を叩いたそうですが、誰も返事をしなかったことから、真っ暗な庭に回り、
ママ、僕だよ。僕だよ。帰って来たんだよ
と言うと、
明るい光が台所にパッとついてドアが開き、奥さんが出てきたそうで、2人は、そのまま、何も言わずに抱き合ったのだそうです。
中尉と偶然キャバレーで再会し慌てて逃げていた
ちなみに、森繁さんは、その後、必ず来るであろう、第2の検挙を恐れ、城内に身を隠していたそうで、2ヶ月ほど過ぎ、ほとぼりがさめた頃に家に戻ったそうですが、
ある日のこと、(駐留軍歓迎のために新しくできた)中央通りのキャバレーに顔を隠して友達と行くと、なんと、すぐ向かいのテーブルに、背広を着た中尉が座っていたそうで、
中尉は、静かに笑って頭を下げ、近づいて来そうになったため、急いで、森繁さんは、群衆に紛れ、飛んで帰ったのだそうです。
「森繁久彌は昔舞台「鐘の鳴る丘」で全裸となり上演中止となっていた!」に続く