2010年11月24日深夜から25日未明にかけて、初対面のグループ4~5人と意気投合し、一緒に飲んでいた際、そのグループのうちの一人に因縁をつけられ、執拗に顔面を殴られて全治2ヶ月の重傷を負ったという、十三代目市川團十郎白猿(じゅうさんだいめ いちかわ だんじゅうろう はくえん)ですが、実は、11月24日、翌日25日に予定されていた記者会見をキャンセルして飲み歩いていたことがこの暴行事件で明らかとなり、お父さんの十二代目市川團十郎さんが謝罪会見を開き、團十郎さん本人も、退院した当日の12月7日夜、謝罪会見を開いています。
「市川團十郎(13代目)は海老蔵時代に顔を執拗に殴られ重傷を負っていた!」からの続き
予定されていた記者会見を前日にキャンセルして飲み歩いていた
2010年11月25日午前7時20分頃、顔面を血だらけにして帰宅し、救急搬送された、團十郎(十一代目市川海老蔵)さんですが、
この暴行事件により、11月24日の昼間、体調不良を理由に、翌日25日午後に予定されていた「初春花形歌舞伎」の記者会見をキャンセルしていたにもかかわらず、24日午後11時頃から飲みに出ていたことが発覚してしまいます。
(舞台を主催する松竹は、「前の現場で体調不良になっており、今回の搬送とは関係ない」とコメントしています)
父親・十二代目市川團十郎が謝罪会見を開いていた
そこで、お父さんの十二代目市川團十郎さんが、都内で急遽、記者会見を開き、
世間をお騒がせしたことは誠に申し訳ない
(記者会見をキャンセルし、飲みに出ていたことについて)大変失礼な行動で、当人の自覚のなさがなせるわざ。憤りを感じている。この場を借りておわびしたい
と、謝罪。
2010年11月30日から出演予定だった、京都・南座の「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」については、
けいこに入れないのではないか。責任の上では、出演すべきではないと思っている
と、團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんの降板を発表したのでした。
また、十二代目市川團十郎さんは、團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんから、
飲んでいて具合が悪くなった人を介抱していたら、そばにいた知らない人から一方的に暴行された
と、報告を受けたことも明かしています。
十三代目市川團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)本人も退院した日の夜に記者会見を開いていた
そして、團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さん本人も、退院した2010年12月7日の夜、東京都内のホテルで記者会見を開き、会見に詰めかけた報道陣約500人に対し、
皆さまに大変なご迷惑と心配をお掛けしました。世の中をお騒がせして誠に申し訳なく、深く反省しております
と、謝罪。
同席した松竹の迫本淳一社長が、来年1月の東京公演は中止し、2月の名古屋公演は出演を取りやめて代役を立てるなど、團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんを謹慎させることを明らかにすると、
團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんは、
私の浅はかな行動。当然だと思う
と、同意しています。
また、團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さんは、2010年11月24日の昼間、体調不良を理由に翌日25日午後に予定されていた「初春花形歌舞伎」の記者会見をキャンセルしたにもかかわらず、24日午後11時頃から飲みに出掛けていたことについても、
私の取った行動が、社会人として節度を欠いていたことを十分に承知しております。日ごろの自分のおごりが招いたことだと思っています
と、反省の弁を述べています。
暴力を振るったり相手を挑発したことは一切ないと断言
そして、記者からの、「暴力を振るったのか」という質問に対しては、
そのようなことは一切ございません
暴行を受けている時、逃げている最中、死ぬかと思いました
と、否定し、
相手が酒に酔っている様子で倒れていたので起こすようにして介抱した
と、他人を挑発したりしていないことも説明。
また、一緒に飲んでいた相手については、
どなたも面識はなかった。その日に初めて会った
と、語っています。
「市川團十郎(13代目)は海老蔵時代に元関東連合リーダーに暴行されていた!」に続く
謝罪会見をする團十郎(当時は十一代目市川海老蔵)さん(左から2人目)。