「学研」の社内報で執筆していた原稿を怪しいブローカーに渡し、他社から「われら動物みな兄弟」として出版されたことが問題となり、「学研」を解雇されてしまったという、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんですが、その後、「学研」時代に知り合った「電通」の部長と偶然再会し、「電通」に入社したといいます。

「ムツゴロウ(畑正憲)は「学研」を解雇されていた!」からの続き

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職安の職員の態度に激怒し履歴書を引きちぎって職員の顔に投げつけていた

「学研」を解雇されてしまったムツゴロウさんは、新しい仕事を探すため、何はともあれ、五反田の職業安定所に行ったそうですが、

(この時はまだ、作家になろうとは思っていなかったそうで、失業保険を申請すれば半年間は給料の7割ほどもらえるため、とりあえずはそれで生活すればいいと思ったのだそうです)

窓口の職員が、ムツゴロウさんが書いた履歴書を見て、

なんだ、これは! 全部書き直してこい!

と、高圧的に怒鳴ってきたそうで、

これにカチンときたムツゴロウさんは、

この野郎! いい加減にしろ!

と、その場で紙を引きちぎり、その職員の顔に投げつけたそうです。

電通の部長に誘われ電通に入社

その後、ムツゴロウさんは、なんとなく、バスに乗って銀座に向かうと、喫茶店でコーヒーを飲みながら、途方に暮れていたそうですが、

(コーヒーを飲んでいたのは15~20分ほどだったそうですが、その時のムツゴロウさんには永遠に感じられたそうで、社会から切り離されたような独特の感覚は言葉では言い表せないほどだったそうです)

やがて、前の席に座った人が、「学研」時代にお世話になっていた「電通」の部長だったそうで、

ムツゴロウさんが、(心が弱っていたこともあり)クビになったことや失業保険をもらいそこねたことなどを一気にまくし立てると、

その部長は、

それはよかった。医学関係のキャッチコピーを頼みたい

と、「電通」に誘ってくれたそうで、ムツゴロウさんは、二つ返事でこの申し出を受けたのだそうです。

電通の部長とは学研で飼っていたカエルが縁で知り合っていた

ちなみに、ムツゴロウさんが「学研」で最初に手掛けた映像作品は「カエルの発生」で、卵からおたまじゃくしまでが映像作品だったそうですが、

ムツゴロウさんは、その後も、おたまじゃくしがカエルになる時、しっぽの部分のエネルギーがどう置き換わるのか疑問だったことから、引き続き、おたまじゃくしを飼い続け、カエルに育てていたそうで、

そんな中、ムツゴロウさんの研究室に遊びに来た「電通」の社員が、このカエルを見て、コマーシャルに使うことになったそうで、それが縁で「電通」の部長とも知り合いになったのだそうです。

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電通に入社するも半年後には作家活動に専念するために退職

さておき、「電通」でコピーライターとして働くようになると、「電通」は広告代理店の中でも超大手だったことからギャラがとても良く、ようやく安定した生活を送ることができるようになったそうですが、

それから半年後、「学研」を解雇される原因となった「われら動物みな兄弟」が賞を受賞し(1967年)、

拾ってくれた部長から、

もう畑くんは辞めたほうがいい。中途半端に安定していたら筆が鈍るから

と、作家活動に専念することを勧められたそうで、

もともと、作家になることが夢だったムツゴロウさんは、この助言に従い、「電通」を退職したのだそうです。

ちなみに、ムツゴロウさんは、後のインタビューで、

作家は博打(ばくち)要素が強いから、広告代理店での安定した生活を捨てるのがもったいない気もしますが。

という質問に対し、

いや、そうは考えなかった! 自分の署名をして、それが世の中に出ていく。それが自分の夢だったわけですから。決してお金だけの問題じゃないんですよ。

と、語っています。

「ムツゴロウ(畑正憲)が北海道の無人島に移住した理由とは?」に続く

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