「電通」に入り、ようやく安定した収入を得るも、ほどなくして、著書「われら動物みな兄弟」が賞を獲り、部長に作家活動に専念することを勧められて「電通」を退職したという、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんは、その後、作家としての活動が軌道に乗ると、北海道の無人島に移住したといいます。
「ムツゴロウ(畑正憲)は若い頃「電通」にも勤めていた!」からの続き
もともとは文章を書くのが下手だった
著書「われら動物みな兄弟」が賞を獲り、作家に専念したムツゴロウさんですが、実は、もともとは、文章を書くのが下手だったそうで、
(句読点がなく、ダラダラと書き、文章が硬かったそうです)
「学研」で最初に映画を制作した際には、ナレーションの部分を書いたそうですが、スタジオでプロのナレーターが(ムツゴロウさんが書いた)原稿を読むのを聞いた時、何一つまともなことを話しておらず、聞くに絶えないほど、ひどかったのだそうです。
この時、初めて、ムツゴロウさんは、自分が文章を書くのが下手だと知ったそうで、これではダメだと思ったのだそうです。
おもしろい文章の書き方を研究するために1晩2~3冊のペースで大衆小説を読んでいた
そこで、ムツゴロウさんは、おもしろい文章の書き方を研究しようと、奥さんと銭湯に行った帰りに、貸本屋さんに寄っては、山手樹一郎さんや舟橋聖一さんなどの大衆小説を借り、1晩2~3冊のペースで読むと、
(特に、25歳前後の頃、集中して読んだそうです)
結果、(現在、ムツゴロウさんの文体の持ち味となっている)独特の軽やかな文体を書く技術を身につけることができたそうで、
ムツゴロウさんは、
あと文章を書く上で重要になるのは表現ですよ。これは活字だけの話でもなくて、テレビで食レポとかやっているのを観ても痛感するんだけど。
「う~ん・・・うまい!」「めっちゃ美味しい!」「甘い」「臭くない」とか、そんなことばかりタレントが言うでしょ?
でも、そんなの画面を観ればわかるじゃないですか。どうせなら画面では伝わらないことを発言しなきゃ。それが表現というものなんですよ。
海外ロケでの「すご~い!」っていうリアクションも同じですけどね。あれじゃ何も言っていないのと一緒。ちょっと、みんな考えたほうがいいと思いますよ。
と、語っています。
北海道の無人島に家族で移住
さておき、ムツゴロウさんは、「電通」でのコピーライターを辞め、作家に専念すると、子供向けSF小説「ゼロの怪物ヌル」(1969)、「天然記念物の動物たち」(1969)、「ムツゴロウの博物志」(1970)など次々と刊行するほか、連載を多数抱える売れっ子作家となっているのですが、
「ゼロの怪物ヌル」
ある程度、生計が立てられるようになったという1971年には、北海道の無人島(厚岸郡浜中町の嶮暮帰島(けんぼっきとう))に家族で移住しています。
(北海道に渡っても執筆の仕事でやりくりできたそうで、当時は携帯電話もメールもない時代だったため、東京の出版社とのやり取りは、対岸にタクシーを待たせて原稿を預け、そのタクシードライバーが航空便で東京まで送るという方法を取っていたそうですが、ムツゴロウさんは原稿を1本も落としたことはなかったそうです)
北海道の無人島に移住した理由とは?
ちなみに、ムツゴロウさんは、北海道に移住した理由を、
- まず、一つ目は、自分の生活をガラリと変えてみたい、他人と同じではおもしろくないと、思っていたという話。
- もう一つは、小学生になった娘と夏にスキー場に行った時のこと、一緒に山を歩いていると、娘が植物の棘が指に刺さり、痛いと泣いたことがあったそうで、(自然に囲まれた所で育った)ムツゴロウさんは、自然からずいぶん離れた所にいるのだと気づき、ショックを受けたという話。
- そして、もう一つは、娘を生物に深く触れさせて育てたそうですが、娘は生き物を大切にするあまり、魚の命を奪って食べることができなくなってしまったそうで、これにショックを受けたムツゴロウさんは、表面的な生き物好きではなく、もっと深く生の自然に触れさせようとしたという話。
と、これまでに3つ語っています。
「ムツゴロウ(畑正憲)は昔子熊と一緒の部屋で暮らしていた!」に続く