スケールの大きい作品で、名バイプレイヤーとして活躍されている、平岳大(ひら たけひろ)さんですが、実は、平さんの両親は、誰もが知る有名な俳優です。今回は、そんな平さんの両親についてご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
平さんは、1974年7月27日生まれ、
東京都世田谷区のご出身、
身長183センチ、
血液型はB型、
学歴は、
暁星小学校
⇒暁星中学校
⇒暁星高等学校
⇒アメリカ合衆国ロードアイランド州プロビデンス、モーゼス・ブラウン・スクール
⇒ブラウン大学理学部応用数学科
⇒コロンビア大学大学院修士課程中退
特技は、英会話、
ちなみに、「平岳大」は本名です。
幼い頃の平さんとお父さんの平幹二朗さん
父親は俳優の平幹二朗
平さんのお父さんは、俳優の平幹二朗(ひら みきじろう)さんです。
平幹二朗さん
幹二朗さんは、高校卒業後の1953年、「俳優座」養成所に入所すると、1956年に、「俳優座」に正式に入座。
同年、「貸間探し」で初舞台を踏むと、以降、舞台「千鳥」「四谷怪談」「ファウスト」などに出演し、若手ホープとして注目を集め、
1968年には、「劇団四季」の舞台「ハムレット」(浅利慶太さん演出)で、主役のハムレットに抜擢されると、たちまち脚光を浴び、その演技が各方面から高い評価を受けます。
そして、その後も、ギリシャ劇やシェークスピア劇など、舞台を中心に活動される一方で、テレビドラマでは、「眠狂四郎」(1957)、「三匹の侍」(1963)、「樅ノ木は残った」(1970)、「国盗り物語」(1973)、「花の生涯」(1974)、「新選組始末記」(1977)、「王女メディア」(1978)、「不毛地帯」(1979)、「信長 KING OF ZIPANGU」(1992)、映画では、「天城越え」(1984)「帝都物語」(1988)など、話題作に次々と出演し、国民的人気俳優となられました。
ただ、2016年10月22日、岳大さんにより、自宅の浴槽で心肺停止の状態で発見され、82歳で他界されています。
母親は女優の佐久間良子
また、平さんのお母さんは、女優の佐久間良子(さくま よしこ)さんです。
佐久間良子さん
佐久間さんは、高校在学中の1956年、「東映」からスカウトされると、高校卒業後の翌年1957年、形だけ「東映ニューフェイス」の第4期試験を受け、水着審査を拒否するも、補欠で合格し、「東映」に入社。
半年間、「俳優養成所」に通って演技のレッスンを受けつつ、その間、日本初の長編アニメ「白蛇伝」に、ヒロインの「モデル」として制作に参加すると、
1958年には、「美しき姉妹の物語・悶える早春」の端役で映画デビューし、同年、映画「台風息子」2部作では、早くも、主演・江原真二郎さんの相手役に抜擢されます。
以降、数多くの映画で、主人公(男性)の相手役や娘役を多く演じ、清純派女優として人気を博すと、1963年には、映画「人生劇場・飛車角」で、主人公(鶴田浩二さん)の情婦役という、初の汚れ役を演じて新境地を開拓し、同年には、映画「五番町夕霧楼」で、「東映」史上、初の女性単独主演に抜擢。
その後も、「東映」の看板女優として、精力的に映画に出演されると、1960年代後半あたりからは、次第に活動の場をテレビドラマと舞台に移し、1981年には、「おんな太閤記」でNHK大河ドラマ初の女性単独主演を務められなど、以降、日本を代表する女優として、数多くのテレビドラマ・舞台に、出演されています。
「平岳大の生い立ちは?少年期に両親が離婚し母親に引き取られていた!」に続く