経営していたリゾートホテルの倒産が明らかになるにあたって、一時的にアメリカに逃避するため、2週間で15曲ものレコーディングをしたいと、作詞家の岩谷時子さんに申し出たという、加山雄三(かやま ゆうぞう)さんですが、岩谷さんは、この難題を引き受けると、見事、成し遂げられたそうです。

「加山雄三は岩谷時子の協力で2週間15曲のレコーディングを敢行していた!」

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岩谷時子は更年期障害と母親の認知症のなか加山雄三の申し出を了承していた

2週間で15曲ものレコーディングをしたいという加山さんの申し出を、「東芝レコード」のプロデューサーで加山さんの担当だった渋谷森久さんから伝え聞き、了承された岩谷さんですが、

実は、1年ほど前から、「更年期障害」の症状だと思われる、ひどい頭痛やめまいに悩まされ(当時54歳)、仕事が思うようにできない中、植木等さんのテレビ・ドラマの挿入歌や、「ピンキーとキラーズ」の新曲などの仕事を抱えていたうえ、

岩谷さんのお母さんに「認知症」の症状が表れ始め、それまでお母さんが担っていた家事全般を岩谷さんがやらなければならなくなるなど、生活上の負担ものしかかるようになっていたそうです。

(家事をやってくれる人を頼みたいと思っても、他人が家に入ってくることをお母さんが嫌がり、叶わなかったそうです)

それでも、岩谷さんは、加山さんの力になりたいと、

今は事情をお話できないんですけど、実はのっぴきならないことが起こってしまって……。本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません。少し〆切を少し延ばして頂くことはできませんでしょうか。

と、作曲家の宮川泰さんやいずみたくさんに仕事を待ってもらうようにお願いすると、

長年コンビを組んできた宮川さんやいずみさんとは信頼関係もあったため、

わかりました。大丈夫ですよ。いつも岩谷さんには僕のほうがさんざんご迷惑をかけてますから。プロデューサーにはボクのほうからうまく言っておきます。

と、担当者も皆、寛大に待ってくれたのだそうです。

加山雄三の仕事で岩谷時子はノイローゼ状態になっていた

こうして、岩谷さんは、加山さんの仕事にとりかかったそうですが、加山さんのデモテープからは、追いつめられて、苦しい心境が伝わってきたそうで、行き当たりばったりの依頼には、行き当たりばったりでかかるしかないと、できたものから順に渋谷さんに手渡すことに。

ただ、残り4曲となったところで、ついに、言葉が一つも思い浮かばなくなったそうで、

渋谷さんがあれこれと曲のテーマや設定を提案して、助け舟を出してくれるも、借り物のアイディアではなかなか歌詞が思い浮かばず、

岩谷さんは、睡眠不足から、とうとう、ひどい肩こりと頭痛に襲われ、さらには、奥歯のかぶせものが取れるも、歯医者に行く時間さえなかったため、ほとんどノイローゼのような状態に陥ってしまったのだそうです。

(そんな中でも、認知症のお母さんは全く娘に同情することもなく、毎日夕方6時になると、外食に連れ出してもらうため、支度をして待っていたそうで、岩谷さんには、そんなお母さんが「おんぶお化け」に見えたそうです)

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綱渡りのレコーディングが終了

そんな中、ようやく、最後の1曲を残して、LP盤「愛はいつまでも」のレコーディングが、午前中から始まって、夜中近くにまで及ぶと、3曲が翌日に持ち越されることに。

(この日の前日、加山さんは、「若大将シリーズ」第16作目「俺の空だぜ! 若大将」のアフレコで喉を痛めてしまい、声がかれていたため)

その一方で、岩谷さんは、帰宅後、朝の4時までかかって、ついに最後の1曲を仕上げられると、2日目は、正午近くにスタジオに入り、16時に無事レコーディングが終了したのだそうです。

(レコーディングは、まるで、綱渡りのように、その場しのぎのやり方だったそうですが、それでもなんとか形にしていくことができたのは、5年間、数多くの曲を一緒に作ってきたチームワークの成せる業だったそうです)

「加山雄三は昔アメリカに逃避行し猛バッシングを受けていた!」に続く

当時のレコーディングの様子。岩谷時子さん(中央)と加山さん。

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