2週間で15曲のレコーディングという殺人的なスケジュールを、作詞家の岩谷時子さんやスタッフたちの協力と抜群のチームプレーにより、無事レコーディングを終えることができた、加山雄三(かやま ゆうぞう)さんは、レコーディング終了当日、単身で渡米されるのですが、やはり、加山さんを待っていたのは、マスコミからの激しいバッシングでした。

「加山雄三からの無茶な依頼を岩谷時子はノイローゼになりつつ完遂していた!」からの続き

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レコーディング終了当日に単身渡米

レコーディング開始から2週間で、無事、レコーディングが終了した加山さんは、

皆さん、このご恩は一生忘れません

いつ帰ってくるんだい?

1ヶ月半で必ず帰って来ます。僕は絶対に逃げませんから

わかってるわ。身体には気をつけてね

はい。ありがとうございます。ひとつラスベガスで稼いできますよ!

と、冗談を言ってスタッフを笑わせると、その日の23時発の「パンアメリカン航空」(1991年倒産)でアメリカに発ったのですが、

それから数日後、加山さんの経営するリゾートホテル「パシフィックホテル茅ケ崎」が23億円の負債を抱えて倒産したことが発表されると、やはり、テレビのワイドショーや週刊誌は、さんざん加山さんを叩いたそうです。

(これを見た岩谷さんは、「良い時には持ち上げるも、いざとなれば突き落とす」残酷な人間の性というものをまざまざと見せつけられた思いだったそうです)

報道陣からは誰からも祝福されなかった結婚

その後、加山さんは、約束どおり、9月半ばに帰国されるのですが、そのかたわらには、新妻である女優の松本めぐみさんがいました。

(松本さんとは、「若大将シリーズ」での共演で知り合われたそうで、アメリカで落ち合い、ロスで挙式されたそうです)

すると、空港には100人近い報道陣が押し寄せ、加山さんは、初めて「赤坂プリンスホテル」で記者会見を開かれるのですが、報道陣からは、騒ぎの中での渡米に無責任だという野次が飛び交うなど、厳しい詰問が浴びせられたのでした。

(結婚を祝福する者は一人としていませんでした)

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岩谷時子に結婚を報告

岩谷さんによると、それから1週間後、加山さんから連絡があり、「帝国ホテル」の17階のレインボーラウンジで待ち合せをすると、妻である松本めぐみさんを紹介され、

ご心配をおかけしました。これから何年かかるかわからないけど、ふたりで頑張って行きます

と、言われたそうで、

岩谷さんは、

おめでとう。大変だったと思うけど、ふたりとも元気そうでよかったわ

と、二人を祝福したそうですが、

加山さんからは、

あの「追いつめられて」という歌の、岩谷さんの歌詞の、全くその通りになったんですよ

アメリカのローンバインっていう街をふたりで歩きながら、やっぱり岩谷さんには予知能力がある。天才だと思いました

と、言われたそうです。

すると、岩谷さんは、ふと、

追いつめられて お前とふたり 知らない街を 歩いている
(中略)
追いつめられて お前とふたり 風に向かい歩いてゆく

と、自分の書いた詞を思い出したそうで、

加山さんと松本さんのお二人に、

嵐が去った朝 どんな風にも負けなかった小鳥の巣が 光の枝に残されていた
昭和四十五年九月 愛をこめて 時子

と、気持ちばかりの結婚祝いと色紙に祝福の言葉をしたためて贈られたのだそうです。

「加山雄三は昔「ぼくの妹に」と「帰ってきた若大将」で借金を完済していた!」に続く

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