「星影のワルツ」が大ヒットして多額の印税収入を得ても、節約生活を続け、印税を計算しながら将来を考えていたという、千昌夫(せん まさお)さんは、1970年、22歳の時、約5万坪の土地を2000万円で購入すると、このことをきっかけに資産運用を始めたといいます。

「千昌夫が「星影のワルツ」大ヒット後も節約生活を続けていた理由とは?」からの続き

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22歳の時に約5万坪の土地を2000万円で購入していた

千さんは、「星影のワルツ」の発売元である「ミノルフォン・レコード」の親会社「太平住宅」(2003年に経営破綻)の専務・竹村正也氏(後の会長)から、常々、目をかけられていたそうで、

ある時、

ムダ金など使わないで、仙台にある土地でも買っておいてはどうか

と、アドバイスを受けると、その話に飛びついたそうです。

「太平住宅」の専務・竹村正也から2000万円を借りて土地を購入していた

そして、仙台の「太平住宅」の社員に土地を物色してもらうと、仙台郊外の山林を推薦してもらったそうですが、そこは、広さ5万坪、価格は約2000万円の土地だったそうで、

いくら、「星影のワルツ」の印税が入り、人気歌手になりつつあった千さんといえども、2000万円もの大金(現金)は持っておらず、考えた結果、竹村氏に、銀行と同じ金利でお金を貸してくれるよう頼み込み、1970年1月20日、22歳の時、この広大な土地を購入することができたのだそうです。

(東北新幹線「仙台駅」から車で約20分(距離にして西方面に約15キロ)の山林地区の、9万3060平方メートル(実測では約5万坪)の土地だったそうですが、この土地には、地主が13人もいたそうで、名義を千さんにするまで、一苦労だったそうです)

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5万坪の土地を担保に資産運用を始めていた

ただ、1972年頃には、県が仙台近郊の土地の乱開発を防ぐため、千さんの土地を含めた一帯を調整区域に指定したそうで、千さんは、この土地を宅地にしたくてもできなくなってしまったそうですが、

(1989年11月には、仙台市が政令指定都市になり、千さんの土地は仙台市に編入されたそうですが、調整区域の指定が解除されることはなかったそうです)

千さんは、この土地を担保として使い、1976年11月には、金融業者から7500万円(極度額)の融資を受けるなど、事業に役立たせると、大きな利益を生み出し、 最盛期には2000億とも3000億ともいわれる資産を持つに至ったのだそうです。

(若干22歳という若さで5万坪の土地を手に入れたことで、大きな自信となり、事業を進めることができたのだそうです)

「千昌夫が若い頃は資金ゼロで赤坂の一等地を購入していた!」に続く

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