高校2年生の時、下宿近くの食堂で芸能週刊誌を見ていた際、作曲家の遠藤実さんの記事が目に留まり、遠藤さんに弟子入りすることを決意するも、家族には言い出すことができず、修学旅行シーズンに内緒で上京することを思いついたという、千昌夫(せん まさお)さんですが、上京後、遠藤さんの自宅を訪ねると、歌手を目指して弟子入りを志願する若者で溢(あふ)れかえっていたといいます。
「千昌夫は高校2年生の時に歌手になる決意をしていた!」からの続き
作曲家・遠藤実の自宅を訪ねるも歌手を目指す若者たちでいっぱいだった
修学旅行シーズンに、お母さんから修学旅行代としてお金をもらうことを思いついた千さんは、作戦通り、お母さんから現金1万5000円と米1升5合をもらったそうで、生まれ故郷を出発し、1965年3月29日の朝、東京・上野駅に到着すると、
東京の知人宅を訪れて荷物を置き、すぐに、杉並区西高井戸3丁目にあった、遠藤実さんの自宅を訪ねたそうですが、遠藤さんの自宅前には、歌手を志す若者達が列をなしていたそうです。
(遠藤さんは、作曲を手掛けた舟木一夫さんのデビュー曲「高校3年生」(1963年発売)が爆発的なヒットとなっていました)
「高校3年生」
作曲家・遠藤実には門前払いされていた
そして、遠藤さんの自宅に群がってくる若者達のほとんが門前払いだったそうで、初日は、千さんも、そんな若者達と一緒に追い払われてしまったそうです。
しかし、お母さんとお兄さんを騙(だま)し、家出同然で上京してきた千さんは、まさに背水の陣だったため、ここであきらめるわけにはいかず、何としてでも遠藤さんの弟子になる以外に生きていく道はなかったことから、2日、3日、4日と、朝早くから夜まで、遠藤さんの自宅玄関前に立ち、遠藤さんが会ってくれるのを待ち続けたそうです。
作曲家・遠藤実から弟子入りを許可される
すると、ついに、4日目、遠藤さんがレッスン室に招き入れてくれたそうで、
(遠藤さんは、千さんの熱意に打たれ、一度会ってみようかという気持ちになったそうです)
レッスン室で「高校3年生」を歌わされると、弟子入りを許可されたのだそうです。
ちなみに、この時、遠藤さんは、
(千さんの歌唱力も含め)果たして、この田舎の青年が将来歌手になれるのか
と、半信半疑だったそうですが、
物事に動じない千さんのキャラクターに期待をかけてみようと、弟子入りを許可したのだそうです。
内弟子生活中は舟木一夫などスターとの接触が大きな刺激となっていた
こうして、遠藤さんの内弟子となった千さんは、(最初からは歌のレッスンを受けられず)朝早くから深夜遅くまで、部屋の掃除、犬の散歩、遠藤さんが外出する時のカバン持ちとして同行するなどして、歌手の卵というよりは、遠藤さんのアシスタント的な役割が大きかったそうですが、
そんな内弟子生活の中でも、歌は歌えなくても、日頃からスターと接触することができたことが大きな刺激になったそうで、例えば、「高校3年生」でデビューして一躍スターダムにのし上がった舟木一夫さんなどが、レッスンのため、遠藤さんの自宅をよく訪れており、
それまでは、高校の下宿先の食堂にあったテレビや週刊誌でしか見ることができなかった人気歌手の舟木さんが目の前にいるのを見て、
いつか俺もヒット曲を歌い、有名な歌手になってやる
と、意欲を燃やしたのだそうです。
「千昌夫が若い頃は「君が好き」でデビューするも鳴かず飛ばずだった!」に続く