お母さんの意向で高校に進学するも、下宿代を捻出するためのアルバイトに明け暮れ、それでも、下宿代と食費を払うのがやっとという状況に、何とかこの生活から抜け出す方法がないかをいつも考えていたという、千昌夫(せん まさお)さんは、ある日のこと、歌手になることをひらめき、作曲家の遠藤実さんに弟子入りする決意をしたといいます。

「千昌夫は高校生の頃ずっと現状から抜け出す方法を考えていた!」からの続き

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貧乏生活から抜け出すため歌手になることをひらめく

高校時代は、下宿代を稼ぐためのアルバイトに明け暮れる中、ずっと、今の生活から抜け出す方法を考えていたという千さんさんですが、ある日のこと、レコード、演歌歌手、スター、金持ち、華やかな暮らし・・・などと、考えていると、突然、

俺も歌手になれないか

と、ひらめいたそうです。

高校2年生の時に作曲家・遠藤実に弟子入りする決意をしていた

ただ、地方都市でアルバイトをしながら高校に通っている一高校生が、どのような手順を踏めば歌手になれるのか、まったく見当がつかず、また、周囲にもアドバイスをしてくれる人が誰もおらず、途方に暮れていたそうですが、

1963年、高校2年生のある日のこと、下宿近くの食堂で、芸能週刊誌をパラパラとめくっていると、作曲家の遠藤実さんの記事が目に留まったそうで、千さんは、遠藤さんの弟子になることを決意したのだそうです。

(遠藤さんは、当時、「からたち日記」(島倉千代子さん)「浅草姉妹」(こまどり姉妹)、「高校3年生」(舟木一夫さん)などのヒット曲を手掛けた作曲家で、千さんが歌手を志した1963年には、ほとんどの高校生が、「高校3年生」を口ずさんでいたそうです)

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家族に内緒で高校を中退し歌手になる決意をしていた

そこで、千さんは、遠藤さんに弟子入りするために、高校を中退しようと考えたそうですが、高校を中退してまで、歌手を目指すとは言い出しにくく、また、言ったとしても、お母さんとお兄さんが反対することが容易に予想できたことから、少しの迷いはあったものの、お母さんやお兄さんには何も言わずに、実行することを決意したそうです。

(千さんは、中卒で左官屋になって働くつもりだったところ、お母さんに勧められ高校に進学しており、また、千さんの高校進学によって、貧しい家計がさらに逼迫(ひっぱく)したそうで、そんな中、お兄さんは、左官屋として働き、援助し続けてくれていたそうです)

ただ、問題は、東京までの汽車賃と滞在費がないことだったそうで、いろいろ考えた挙げ句、高校2年生の修学旅行シーズンに賭けることにしたそうで、

実際には、修学旅行には行かないのですが、「修学旅行に行くから」と嘘を言えば、お母さんがいくらか出してくれるだろうと考えたのだそうです。

(今でこそ、芸能界に入る足がかりとしては、オーディションやコンテストでの入選が一般的ですが、当時は、直接、有名芸能人の弟子になるのがスターへの最短距離だと考えられていたそうで、有名人宅を訪ねて弟子入りを志願するケースは日常茶飯事だったそうです)

「千昌夫は高2の時に作曲家・遠藤実に弟子入りしていた!」に続く

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