シングル「星影のワルツ」「北国の春」が300万枚を売り上げる大ヒットを記録するほか、一時は、”歌う不動産王”と呼ばれ、総資産2000~3000億円といわれた、千昌夫(せん まさお)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょう。今回は、そんな千さんの最初の奥さんをご紹介します。

「千昌夫は借金1000億円以上を抱え破綻するも誠意ある対応をしていた!」からの続き

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最初の妻はアメリカ人歌手のジョーン・シェパード

千さんは、1972年、アメリカ人歌手のジョーン・シェパードさんと結婚しています。

この頃、千さんは、デビュー曲「星影のワルツ」の大ヒット以降、これと言った大ヒットもなく、もっぱら地方公演をメインに活動していた時期だったのですが、”金髪美人を嫁にしたイワテケン歌手”としてマスコミに騒がれました。

最初の妻・ジョーン・シェパードは「新婚さんいらっしゃい!」のアシスタントもしていた

ちなみに、シェパードさんは、1960年代、「グレン・ミラー・オーケストラ」の専属歌手をするなど、アメリカのショービジネス界で活動していたそうですが、1971年に、日本で、レコード「サマー・クリエーション Summer Creation(夏の日の出逢い)」を発売すると、大ヒット。

その後も、日本で、シングル「バルコニーに座って/砂に書いたラブレター」「白い想い出/夕陽が沈む」などを発売し、歌手として活動するほか、


「白い想い出/夕陽が沈む」

1978~1981年には、テレビ番組「新婚さんいらっしゃい!」で、アシスタント司会を務めました。


「新婚さんいらっしゃい!」より。桂文枝(当時は桂三枝)さんとシェパードさん。

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最初の妻・ジョーン・シェパードとはCM共演で「芸能界一のおしどり夫婦」と呼ばれるように

さておき、千さんとシェパードさんは、夫婦でいくつかの有名企業のCMに共演して仲睦まじい様子を見せ、”芸能界一のおしどり夫婦”と呼ばれるようになるのですが、

満足に英語を話せなかった千さんが、国内のみならず、ハワイ、スペイン、サンフランシスコなど、海外にも別荘やマンションを所有して、世界に視野を広げるきっかけとなったのは、シェパードさんの影響やサポートがあったからでは、と言われています。

(松下電器のCM「パナカラー クイントリックス」では、シェパードさんが発した「イワテケン!(岩手県)」が流行語となり、この、新製品のテレビ「クイントリックス」は予想を上回る売れ行きとなったそうです)

「千昌夫と最初の妻・ジョーン・シェパードの離婚理由は?」に続く


「パナカラー クイントリックス」のCMより。千さんと最初の妻・シェパードさん。

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