少しでも良い大学に入って一流企業に就職してほしいと、進学率の高かった千葉一高への進学を勧めるお父さんを何とか説得し、佐倉一高への進学を許してもらったという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、晴れて入部した佐倉一高野球部の練習は、とても厳しいものだったそうです。

「長嶋茂雄はピンチを救う思いから佐倉一高への進学を希望していた!」からの続き

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佐倉一高野球部の練習はスパルタ式だった

反対するお父さんを説得した長嶋さんは、1951年4月、晴れて、佐倉一高に進学し、野球部に入部したそうですが、全校あげて野球部の強化に取り掛かっていた佐倉一高の練習は、中学の時とは比べ物にならないほど激しかったそうで、

例えば、千本ノックの最中、へたばってグランドの上に伸びてしまうと、先輩から、(守備練習の前にあらかじめ用意していた)バケツの水を頭からザアーッとかけられたそうで、このようなスパルタ式の練習に耐えかね、辞めていく部員が続出したそうです。

(佐倉中学校からは、ピッチャーの牛島さんとキャッチャーの高橋(利)さんも、長嶋さんと一緒にこの野球部に入ったそうですが、高橋さんは体が大きく、中学時代は長嶋さんと4番を競い合い、打球も鋭かったそうですが、1年で野球部を辞めていったそうです)

高1でレギュラーになり高2で4番に選ばれていた

それでも、反対するお父さんを説得してこの佐倉一高に入った長嶋さんは、ここで根を上げるわけにはいかず、歯を食いしばって頑張ったそうですが、

人より特別、野球好きにできていたのか、どんな厳しい練習も不思議と苦にならなかったそうで、その甲斐あってか、1年生で、いきなり、6番でレギュラーに選ばれると、高校2年生の時には、4番に選ばれたそうです。

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高校時代もぐんぐん背が伸び続けていた

ちなみに、中学2年生頃から急に伸びだした身長は、この頃もぐんぐん伸びていたそうで、高校2年生の春の体力検査の時、何気なく身長測定器の目盛りを見ると、1メートル70センチとなっていたことから、

長嶋さんは、なんとなく心配になり、保健の先生に、

あのう、ぼく、背が伸びる病気じゃないでしょうね。中学のころと比べると、たっぷり十センチは伸びたんですが・・・

と、聞いたことがあったそうですが、先生にはあきれられたそうです(笑)

そして、高校3年生でキャプテンを命じられた頃には、身長は177センチに達したのだそうです。

「長嶋茂雄は高2の時一流選手の打撃技術を盗むべく球場に通っていた!」に続く

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