南関東大会で大宮球場のセンターバックスクリーンに超特大のホームランを放った、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、その後、野球関係者から注目を集めるようになり、巨人軍(読売ジャイアンツ)をはじめとした、スカウトが殺到する中、巨人軍への入団を希望したそうですが、進学を希望するお父さんには反対されてしまったといいます。

「長嶋茂雄の父親は内緒で球場に来て声を張り上げて応援していた!」からの続き

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巨人軍(読売ジャイアンツ)のスカウト・若林俊治がスカウトに乗り出していた

大宮球場でセンターバックスクリーンに超特大のホームランを放った長嶋さんは、野球関係者から注目を集めるようになったそうで、

同年(1953年)9月中旬には、読売興業の社員で巨人軍(読売ジャイアンツ)のスカウト・若林俊治さんが、コーチの谷口さんと共に、長嶋さんをスカウトするため、佐倉一高まで来たそうです。

すると、ちょうど、二人が校庭に来た時、長嶋さんはフリーバッティングをしていて、打球が「キーン」という金属音を残し、300フィート離れた講堂の屋根を越していったそうで、

谷口さんはそれを見て驚き、

これは、早いとこ手を打っとくべきだ

と、すぐに、校長の松本先生に会いに行ったといいます。

(長嶋さんは、このことを、後から聞いて知ったそうです)

巨人軍(読売ジャイアンツ)のスカウト・若林俊治は大宮球場で長嶋茂雄が放ったホームランを間近で見ていた

実は、若林さんは、たまたま、大宮球場で南関東大会があると聞き、のんびりと外野の芝生に腰を下ろして、何かの参考になればという程度の軽い気持ちで試合を見ていたそうですが、そこに、長嶋さんの打った超特大ホームランが飛んで来て驚き、

(長嶋さんがバックスクリーンに放った超特大ホームランは、バックスクリーンに当たった後、ころころと転がり、若林さんが座っていたあたりに転がったそうです)

球団事務所に帰ってすぐ、

いやあ、参ったよ。無名の高校生なんだけど、でっかいヤツを打ってね。ちょうど、その打球がぼくの足元めがけて飛んできたもんだから驚いたよ

と、報告していたのだそうです。

巨人軍(読売ジャイアンツ)のスカウト・若林俊治は長嶋茂雄を諦められなかった

とはいえ、当時の巨人軍(読売ジャイアンツ)のサードには、宇野光雄さん、手塚明治さん、柏枝文治さんといった、錚々(そうそう)たる選手がひしめき合っていたそうで、若林さんの報告は、将来有望な選手のリストにメモされただけで終わってしまったそうですが、

それでも、若林さんは、長嶋さんを諦めきれず、9月中旬に佐倉一高まで出向いていたのでした。

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巨人軍からのスカウトを知り有頂天になるも進学を希望する父親に反対されていた

一方、長嶋さん(のお父さん)のところにも、立教大学、東京六大学、ノンプロの川崎重工業、富士重工業など、スカウトが殺到していたそうですが、

長嶋さんは、胸を焦がすほどの憧れだった、天下の巨人軍(読売ジャイアンツ)からスカウトが来たと聞いて有頂天になっていたそうで、巨人軍に入ることを強く希望していたそうですが・・・

(まだ、ドラフト制度がない時代だったため、長嶋さんが一言、「うん」と言うだけで、すんなりプロ入りできたそうです。また、噂によると、契約金は60万円だったそうですが、その大金については、長嶋さんはピンとこなかったそうです。)

大抵のことは長嶋さんの意思を尊重してくれるお父さんが、この時ばかりは、珍しく反対したそうで、

これからの男は、大学を出ていなくてはダメだ。野球をやるのはいい。けど、茂雄、プロに入るのは大学にいってからでもいいぞ。むしろ、そのほうがいい。ここはお前も、黙って父さんのいうことを聞いておきなさい。

と、大学に進学するよう説得されたのだそうです。

「長嶋茂雄は父親の意向に従い立教大学進学を決めていた!」に続く

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