1959年6月25日、後楽園球場で行われたプロ野球試合初の天覧試合では、天皇・皇后両陛下のお目当てが自身であることを知り、緊張のあまり、普段は張り上げている甲高い声を出すことも忘れていたという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、3回表、対戦相手の阪神に1点を先制されるも、5回裏、同点となるホームランを放ちます。

「長嶋茂雄は天覧試合では緊張のあまり足の震えが止まらなかった!」からの続き

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阪神に先制されていた

3回表ノーアウトで、この試合初めてのランナー・並木輝男さん(阪神)が一塁に出ると、次の打者・山本哲也さんのぼてぼてのショートゴロが結果的に進塁打となり、一死二塁でラスト・バッターの小山正明さんを迎えたそうですが、

小山さんは、カウント2-0から、セカンドの左側を抜ける鋭いゴロを打ったそうで、二塁ランナーの並木さんは、一目散に、サードの長嶋さんの目の前を駆け抜けて行き、阪神がまず1点を先制したそうです。

(小山さんは、針の穴を通すような正確なコントロールで阪神のエースとして活躍し、通算320勝しました)

阪神のキャッチャー・山本哲也からは気迫を感じていた

そして、1点を先行された5回裏、この回のトップバッターの4番の長嶋さんが、重さ975グラムの薄くベージュがかかったルイスビルのバットを、2度3度と振ってからバッターボックスに向かうと、ふと、阪神のキャッチャーの山本さんと目が合ったそうですが、

マスクを外してピッチャーの小山さんのウォームアップの相手をしていた山本さんの顔は、いつもと違っていたそうで、

(普段は無精ヒゲをはやし、それが一種のトレードマークでもあったそうですが、この日は、きれいにヒゲを剃り落としてきていたそうです)

山本さんは、長嶋さんの顔を恐ろしく怖い目でにらみつけ、マスクをぐいと下ろしたそうです。

レフトスタンドへ同点のホームランを放つ

そんな山本さんを見た長嶋さんは、これを、山本さんの「負けるものか」という意思表示であると理解し、バットを構え直したそうで、

その後、カウント1-1となり、小山さんの3球目のインコースにぐぐっと食い込んできたシュートを強引に振ると、レフトスタンドへ同点のホームランとなったのだそうです。

(続く5番の坂崎一彦さんも、小山さんのカーブをすくいあげると、今度はライトへのホームランとなり、巨人はあっという間に阪神を逆転したそうで、三塁側の阪神ベンチは声もなかったそうです)

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前日の夜はルイスビルのバットにお祈りし枕元に置いて寝ていた

実は、前日の夜、長嶋さんは、畳の上に正座して、片手拝みにバットに向かって目をつぶり、

なんとか、ぼくにいい場面で打たせてください

と、「一球入魂」の気持ちで懸命に祈って、バットを枕元に置いて寝ていたそうで、

3番なら、1,2番バッターが出塁していてもいなくても、相手のピッチャーは冷静かつ慎重に攻めてくるため、打つ方はそれほど考えを巡らせる必要はなかったそうですが、

4番となるとそうはいかず、ピッチャーは、3番打者に痛い目に遭うと、次の攻め方が、かなり強気となったり、はたまた、逆に逃げてくるなど、極端にピッチングが変わってきたことから対応が難しく、3番に比べると、心理的負担が大きかったのだそうです。

(長嶋さんは、入団した年、83試合目まで3番で、84試合目から4番となっていたそうです)

「長嶋茂雄は天覧試合では阪神に逆転され焦りから見逃三振をしていた!」に続く

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