1954年、宇野庄治球団代表にスカウトされて巨人に入団すると、いきなり、入団1年目に、打率3割1分4厘、15本塁打で新人王に輝き、その後も、意外性のある打撃と広い守備範囲で活躍し、1992年には野球殿堂入りも果たしている、広岡達朗(ひろおか たつろう)さん。
今回は、そんな広岡達朗さんの現役時代の成績をご紹介します。
「広岡達朗は川上哲治との不仲が原因で現役を引退していた!」からの続き
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プロ野球選手時代(現役時代)の打撃成績
それではここで、広岡達朗さんの現役時代の打撃成績をご紹介しましょう。
- 1954年(巨人)
- 107安打 打率.314 15本塁打 67打点 9盗塁
- 19二塁打 2三塁打 58得点 四球54 出塁率.409 長打率.513 OPS.923
- 1955年(巨人)
- 115安打 打率.257 11本塁打 43打点 17盗塁
- 16二塁打 9三塁打 76得点 四球49 敬遠0 出塁率.339 長打率.407 OPS.746
- 1956年(巨人)
- 80安打 打率.233 9本塁打 32打点 8盗塁
- 17二塁打 1三塁打 46得点 四球25 敬遠1 出塁率.290 長打率.367 OPS.658
- 1957年(巨人)
- 84安打 打率.244 18本塁打 33打点 5盗塁
- 13二塁打 3三塁打 54得点 四球29 敬遠1 出塁率3割分4厘 長打率.456 OPS.761
- 1958年(巨人)
- 121安打 打率.277 12本塁打 41打点 22盗塁
- 18二塁打 2三塁打 69得点 四球30 敬遠3 出塁率.328 長打率.410 OPS.738
- 1959年(巨人)
- 106安打 打率.237 14本塁打 47打点 17盗塁
- 13二塁打 7三塁打 81得点 四球45 敬遠0 出塁率.314 長打率.391 OPS.705
- 1960年(巨人)
- 81安打 打率.223 12本塁打 26打点 3盗塁
- 12二塁打 6三塁打 47得点 四球21 敬遠1 出塁率.266 長打率.388 OPS.655
- 1961年(巨人)
- 87安打 打率.203 10本塁打 41打点 5盗塁
- 12二塁打 3三塁打 38得点 四球29 敬遠1 出塁率.255 長打率.315 OPS.570
- 1962年(巨人)
- 81安打 打率.214 4本塁打 33打点 8盗塁
- 11二塁打 3三塁打 36得点 四球22 敬遠0 出塁率.262 長打率.291 OPS.553
- 1963年(巨人)
- 79安打 打率.241 5本塁打 41打点 7盗塁
- 11二塁打 1三塁打 39得点 四球38 敬遠2 出塁率.324 長打率.326 OPS.650
- 1964年(巨人)
- 73安打 打率.209 6本塁打 34打点 3盗塁
- 10二塁打 2三塁打 35得点 四球31 敬遠0 出塁率.273 長打率.301 OPS.574
- 1965年(巨人)
- 63安打 打率.229 1本塁打 25打点 10盗塁
- 13二塁打 0三塁打 20得点 四球34 敬遠3 出塁率.316 長打率.287 OPS.603
- 1966年(巨人)
- 4安打 打率.129 0本塁打 2打点 1盗塁
- 2二塁打 0三塁打 4得点 四球3 敬遠0 出塁率.206 長打率.194 OPS.399
と、通算13年(読売ジャイアンツ)で、1327試合 1081安打 打率.240 117本塁打 465打点 115盗塁(167二塁打 39三塁打 603得点 410四球 敬遠12 出塁率.307 長打率.372 OPS.678)の成績を残しています。
新人王、野球殿堂競技者表彰、ベストナインほか受賞
そんな広岡達朗さんは、
- 新人王(1954年)
- ベストナイン1回(1954年)※ラリー・レインズと共に遊撃手部門での昭和生まれ初の受賞
- 野球殿堂競技者表彰(1992年)
- 日本シリーズ技能賞1回(1963年)
- 正力松太郎賞2回(1978年、1982年)※監督として表彰
- 日本プロスポーツ大賞 大賞1回(1983年)
- 日本プロスポーツ大賞 殊勲賞1回(1982年)
- ナンバーMVP賞1回(1982年)
- 都民文化栄誉賞(1983年)
などの賞を受賞しています。
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背番号
ちなみに、広岡達朗さんの背番号は、現役時代はずっと「2」で、その後は、以下のように変遷しています。
- 2(読売ジャイアンツ 1954年-1966年)
- 31(広島東洋カープ 1970-1971年)
- 71(ヤクルトスワローズ 1974-1979年途中)
- 80(西武ライオンズ 1982-1984年)
- 91(西武ライオンズ 1985年)
「広岡達朗は巨人(川上哲治)からスパイ扱いされ復讐を胸に誓っていた!」に続く
川上哲治監督との確執が原因で、1966年に現役を引退した、広岡達朗(ひろおか たつろう)さんは、引退後は、自分の野球が巨人よりも正しいことを証明するために、アメリカ・メジャーリーグを視察する決意をし、渡米したそうですが、 …
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