川上哲治さんとは現役時代から仲が悪かったという、広岡達朗(ひろおか たつろう)さんは、川上さんが巨人の監督になった後も、川上監督への不信感から、激怒し、なんと、試合途中で帰宅したことがあったといいます。

「広岡達朗は川上哲治監督にミーティングで恥をかかせていた!」からの続き

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神宮の乱(長嶋茂雄ホームスチール激怒事件)

1964年8月6日、国鉄スワローズ(現・ヤクルト)戦、0対2とリードされた7回、1アウト三塁という場面で、広岡さんに打席が回ってきた際、国鉄の金田正一投手が3球目を投げた瞬間、三塁ランナーの長嶋茂雄さんがホームスチールを敢行したそうで(失敗)、川上哲治監督の指示だと思った広岡さんは、激怒し、その後、わざと空振りして三振してしまったそうです。

実は、その2年前にも、国鉄戦で延長11回、2対1とリードされ、2アウト三塁の場面で、広岡さんが打席に立った際、長嶋さんがホームスチールを敢行して失敗していたそうで、

その時は、長嶋さんがサインを覚えない性格のため、単純なミスだと思っていたそうですが、2度目の今回は、川上監督の仕業だと確信したのだそうです。

(実際は、長嶋さんの単独スチールで、広岡さんの勘違い)

川上哲治監督に怒り試合の途中で帰宅していた

つまり、0対2で負けている7回1アウト三塁の場面でホームスチールなど、まず考えられないため、川上監督が広岡さんに恥をかかせるため、長嶋さんだけに分かる(ホームスチールの)サインを出し、あえて広岡さんにはサインを伝えなかったと、広岡さんは解釈したそうで、

(もし、広岡さんがサインをあらかじめ把握していれば、バットを出したり、立つ位置を変えるなど、捕手の目を遮る対策ができるため)

そう思うと、広岡さんは、頭に血が昇ったそうで、広島弁で、

できるかこんな野球。やるなら、やっちゃるぞ

と、叫び、

そのままロッカー室へ直行すると、家に帰ってしまったのだそうです。

(川上さんからまったく信用されていないことへの苛立ちもあったのだそうです)

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同僚の藤田元司から川上哲治監督に謝罪するよう説得されるも従わなかった

すると、その夜、同僚の藤田元司投手から自宅に電話があり、

腹が立つのは分かるが、帰るのはまずい。親分に謝んな

と、川上さんに謝罪するよう説得されたそうですが、

広岡さんは、

ガンちゃん(藤田さんのあだ名)、ありがとう

と、言いながらも、そうしなかったそうで、

この出来事がきっかけで、川上さんとの不仲説が世間に流れることになったのだそうです。

「広岡達朗は正力松太郎に引退を止められていた!」に続く

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