1963年、山内一弘選手との「世紀のトレード」(後にも先にもない1対1の大物トレード)で大毎オリオンズに移籍した、小山正明(こやま まさあき)さんは、移籍1年目の1964年に、いきなり自己最多の30勝を挙げ、最多勝を獲得すると、2年目、3年目も20勝し、1970年には、史上唯一の両リーグ100勝を達成、そして、1971年には、通算300勝を達成しています。
「小山正明は永田雅一オーナーから大変気に入られていた!」からの続き
東京オリオンズ移籍1年目に自己最多の30勝を挙げ最多勝を獲得
小山さんは、東京オリオンズ(この年、「大毎オリオンズ」から改称)に移籍して1年目の1964年、本拠地球場が阪神甲子園球場より狭い東京球場となったため、投手の小山さんには不利かと思われていたのですが、
持ち前の速球と、阪神時代に王貞治選手を打ち取るために身につけたパームボールを駆使し、打たせて取る投球で、自己最多の30勝を挙げ、初の最多勝を獲得しています。
1971年には通算300勝を達成
そんな小山さんは、1970年には、16勝11敗、防御率2.30の好成績で、10年ぶりとなるロッテ(1969年に東京オリオンズから改称)のリーグ優勝に貢献するほか、史上唯一の両リーグ100勝を達成。
翌1971年7月3日の東映戦では159球の完投で日本プロ野球史上4人目の通算300勝を達成(ロッテ時代の9年間で7回もの二桁勝利)しているのですが、
小山さんは、
大抵の人は数字をすごいと評価してくれるけど、それだけの数字を作り上げた基礎体力、21年間がんばり続けた。僕はこれのほうが「小山、よくやったな」という思いがしますね。
ただ、振り返ってみると、いろんな面で恵まれました。先輩が年齢的にも衰えを見せかけていて、新旧交代の時期に差し掛かっていたことについても、僕は幸運でしたね。(体力もあって運もあった)
と、語っています。
1972年には大洋ホエールズに移籍し1973年に現役引退
そんな小山さんも1972年は9勝に終わると、翌1973年には大洋ホエールズ(横浜DeNAベイスターズ)にトレードされ、選手兼任コーチとなって戦列を離れていたそうですが(事実上の現役引退)、
シーズン途中、青田昇監督の要請で現役に復帰すると、なんと、5月21日の中日戦では1安打1四球で完封勝利。
(テンポの良いピッチングで、12時31分の試合開始からわずか1時間22分後の13時53分には試合が終了していたそうです)
さらには、この年、もう1度完封をするほか、4勝4敗ながら防御率2.55という好成績を残すのですが、初めての故障だったという肘痛により、同年10月24日、現役を引退したのでした。
「小山正明の現役(プロ野球選手)時代の成績が凄すぎる!」に続く