1953年、立命館大学を中退して、大阪(阪神)タイガースに入団すると、1954年と1956年には盗塁王、1964年には179打席連続無三振記録を作るほか、遊撃手の守備では、小柄ながら俊敏で華麗な動きが牛若丸と讃えられ、ベストナイン9回(遊撃手の最多記録)を誇った、吉田義男(よしだ よしお)さん。そんな吉田さんは少年時代からすばしっこく、運動会で活躍していたといいます。

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年齢は?出身は?身長は?学歴は?名前の由来は?

吉田さんは、1933年7月26日生まれ、
京都府京都市中京区西ノ京中保町の出身、

身長165センチ、
体重56キロ、

血液型はO型、

学歴は、
朱雀第八小学校
⇒本梅国民学校(転入)
⇒旧制京都市立第二商業学校(1948年、学制改革により京都市立西陣商業高等学校に改称されるも同年、廃校)
⇒京都府立山城高等学校(編入)
⇒立命館大学中退

趣味は、ゴルフ、

ちなみに、「吉田義男」は本名ですが、薪炭業を自宅で営んでいたお父さんに、正直者の奉公人・上田義雄さんの名前より、「雄」を「男」に変えて、名付けられたのだそうです。

また、愛称は「よっさん」「ムッシュ」だそうです。

「牛若丸」の由来は?

吉田さんは、現役時代は、「牛若丸」と称されているのですが、元野球選手で解説者の小西得郎さんが、NHKの中継中に、「何と申しましょうか、阪神の吉田選手は、まるで牛若丸のように、ひらりひらりと敏捷な守備をしますねえ」と言ったことが始まりだったそうで、

京都出身で、小さな体でひらりひらりと動き回る姿が、京の五条の橋の上の「牛若丸」の物語を連想させたのだそうです。

(小西さんは、「そりゃーもう、なんと申しましょうか」という独特な語り口調で知られていたそうです)

父親・正三郎は薪炭業を営んでいた

吉田さんのお父さんは、正三郎さんといい、京都府船井郡世木村(せきむら)の農家の長男だったそうですが、丹波の山の中でわずかな農地を耕していても埒(らち)が明かないと、(炭焼や木材運びも経験していたことから)京都市内へ出て、薪炭業(しんたんぎょう)を始めたそうです。

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少年時代からすばしっこく運動会で活躍していた

吉田さんは、そんなお父さんとお母さんのユキノさんのもと、5人兄弟姉妹(兄1人、姉2人、妹1人)の4番目として誕生すると、幼い頃は胃腸が弱かったそうですが、

朱雀第八小学校に入った頃から、元気ですばしっこい少年へと成長し、勉強よりも徒競走や障害物競争で目立ち、運動会では花形として活躍したそうで、

クラスメイトには、いつも、

直線のかけっこは特に速くないのに、おまえはカーブでみなを抜く

と、ボヤかれていたそうです。

(ちなみに、長姉・芳子さんは8歳年上、次姉・静子さんは5歳年上、長兄・正雄さんは2歳年上、妹・章子さんは5歳年下だったそうです。また、長姉・芳子さんの次男(吉田さんの甥)の谷真一さんは、元近鉄の選手で、現在はオリックスのスカウトを務めているそうです)

「吉田義男の幼少期は戦後で食糧難だった!」に続く

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