オリックス入団1年目と2年目、二軍では抜群の成績を残すも、一軍には定着できず、3年目に大ブレイクしたイチローさんは、2年目までオリックスの監督を務めていた土井正三監督との確執が長らく囁(ささや)かれ、土井監督がイチローさんの”振り子打法”を否定していたと考えられていましたが、イチローさん、土井正三監督ともに、これらを否定しており、事実は違ったといいます。

1991年のイチロー

「イチローはオリックス3年目で首位打者と210安打(NPB記録)を記録していた!」からの続き

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イチローはオリックス入団1年目と2年目は二軍で好成績を残すも一軍に定着することはかった

イチローさんは、オリックス入団1年目の1992年は、主に二軍生活で、最終的には、二軍で首位打者(打率3割6分6厘)を獲得しているのですが、

これほどの活躍にもかかわらず、(シーズン終盤には一軍でスタメンになることが増えたものの)一軍に定着することはなく、一軍と二軍を行ったり来たりしていました。

そして、この「一軍と二軍の行ったり来たり」は、2年目の1993年も続きます。

イチローは土井正三監督に打撃フォームを矯正されていた?

実は、イチローさんは、1年目の1992年、一軍昇格後、土井正三監督ら一軍首脳陣から、

足を生かし、上から叩きゴロを打て

ヘッドをボールにぶつけるように打て

などと、打撃スタイルの変更を指示されていたといいます。

というのも、通常、バッティングでは、軸足(後足)に体重を乗せてスイングすることが推奨されていたところ、入団当時のイチローさんは、その正反対で、

投手側の足を軽く上げ、その上げた右足を振り子のように揺らし、体を投手側にスライドさせながら踏み込んでスイングするという、当時では非常識ともいえる「軸足が前足」というスタイルだったのです。

そんなイチローさんは、68キロと体が細かったせいか、通常のタイミングでボールを捉えると、体力がついていかず、力負けして凡フライになるほか、フリーバッティングでも、タイミングは合っていながら、打球が飛ばなかったり、ファウルになったりしていたそうで、

土井正三監督や山内一弘一軍打撃コーチには、(実際にはレベルスイングだったにもかかわらず)アッパースイングに見え、

(捕球と送球の2つの動作が必要な)内野ゴロを打たせればイチローの足ならセーフになる

と、ダウンスイングへの修正を命じられたのでした。

イチローは打撃フォームを矯正され、完全に打撃を見失っていた

これには、頑固で負けず嫌いのイチローさんも、入団1年目(しかも高卒1年目)だったことから、土井正三監督ら首脳陣の言うことを聞くしかなく、自分に合わないと分かっていながらも、言われたように実戦するしかなかったそうで、

次第に、打ち方さえ分からなくなる大スランプに陥り、完全に打撃を見失ってしまったのでした。

土井正三監督は”振り子打法”を否定したと批判され、イチローとの確執も取り沙汰されていた

それでも、イチローさんは、オリックス入団2年目の1993年秋には、二軍生活の中で、河村健一郎二軍打撃コーチと二人三脚で、後に日本時代のイチローさんの代名詞となる”振り子打法”を作り上げると、翌年の1994年には、一気に才能を開花させ、日本プロ野球史上初となるシーズン200安打を達成したことから、

土井正三監督には、

イチローの素質を見抜けなかった

振り子打法を否定した愚将

などと、批判が殺到し、

(イチローさんと)そりの合わない間柄

と、イチローさんとの確執も取り沙汰されたのでした。

土井正三監督はイチローの”振り子打法”を嫌っていたという噂を強く否定し、確執の噂も否定していた

しかし、土井正三監督本人は、イチローさんの素質を見抜けなかったという話や”振り子打法”を嫌っていたという話を強く否定しており、すい臓がんに倒れ、療養中だった際、週刊誌の記者に以下のような説明をしています。

土井正三監督によると、1992年、監督就任2年目に入団してきたイチローさんは、チームの将来を背負う逸材で、当初は二軍でじっくり鍛えるつもりだったそうです。

ただ、二軍では3割8分ものハイアベレージをマークしていたことから、オールスター前には一軍に昇格させたそうですが、一軍での成績はパッとせず、同年9月頃には、イチローさんがすでに60打席を超えそうになったことから、新人王を2年目に持ち越すため、二軍に行くことを打診したそうですが、イチローさんが一軍にいたいと訴えたため、そのまま一軍で使い続けたのだそうです。

(※新人王の資格は、海外のプロ野球リーグに参加した経験がない選手で、支配下登録されてから5年以内、投手は前年までの1軍投球回数が30以内、打者は前年までの1軍打席数が60以内となっています)

すると、イチローさんは、2年目も、(予想通り)成績が2割以下に低迷したそうで、一軍に置き続けても平凡な選手になってしまうと判断し、鍛え直すため、今度は(心を鬼にして)走塁ミスを理由に二軍落ちを宣告したのだそうです。

また、土井正三監督は、イチローさんとの確執についても、

彼(イチローさん)のお父さんとは今もゴルフもする仲で、あの時、二軍に落としてくれたから今がある、といってくれます。ボク自身は志半ばで終わってしまいましたがね

と、否定し、

イチローさんとはイチローさんのお父さんも交えて良好な関係を築いていたことを明かしています。

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イチローも土井正三監督との確執を否定していた

そして、イチローさんも、

土井監督から振り子打法を直すように言われたことはない

と、土井正三監督が”振り子打法”を嫌っていたとする説を否定しているほか、

イチローさんと”振り子打法”を作り上げたという、河村健一郎二軍打撃コーチも、後に、名前こそ出さなかったものの、

あるコーチにフォームをガタガタにされた

と、明かし、土井正三監督が「振り子打法」を嫌っていたとは言っていません。

また、イチローさんは、2009年、土井正三監督の訃報に接した際、メジャー移籍後も土井正三監督がずっと気にかけてくれていたことを、知人を通じて伝え聞いていたことを明かすほか、

(土井正三監督が「イチローさんの才能を見抜けなかった」「そりの合わない間柄」などと言われたことについて)そうじゃないのにねぇ・・・

と、一言。

続けて、

200本のこととかを知っていてくださったらうれしいですね。それは僕には分からないですけれど。ご冥福をお祈りします

と、イチローさんらしく、言葉少なめに、土井正三監督を偲んでいます。

「イチローは山内一弘コーチに「振り子打法」を否定され矯正されていた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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