高校3年生の夏の大阪大会では、ストレートだけで10人連続三振を含む三振の山を築いた、江夏豊(えなつ ゆたか)さんですが、さすがに、プロではそれでは通用しなかったそうで、秋のキャンプでは、プロとパワーの違いを思い知らされたほか、川崎徳次投手コーチから、マスコミやファンの前で、カーブが投げられないことをバカにされたこともあったといいます。
「江夏豊の背番号28は消去法で選択したものだった!」からの続き
秋のキャンプではプロのパワーの違いを感じていた
1966年の秋、阪神タイガースと契約した江夏さんは、秋のキャンプでは、2週間ほど練習し、その仕上げとして、シート打撃に登板したそうですが、富恵一(とみえ はじめ)さんという4年目の打者に、高知・安芸球場の左中間に放り込まれてしまったそうで、
江夏さんは、高校野球が終わってからのんびりし、少し練習しただけだったことから、打たれても仕方がないとは思ったそうですが、それでも、あそこまで飛ばされるとは思っておらず、プロのパワーの違いを思い知らされたそうです。
(大学リーグで2度首位打者となり、「長嶋二世」と呼ばれていた、同期入団の大倉英貴さん(芝浦工業大学)の練習を見ても、外野までは球が飛んでいなかったことから、プロは次元が違う世界だと感じたそうです)
藤本定義監督とは「おじいちゃんと孫」のような関係だった
そして、いよいよ、翌年1967年の春のキャンプでは、若手主体だった秋のキャンプと違い、投手陣は、村山実さん、若生智男さん、 ジーン・バッキーさん、野手陣は、三塁・三宅秀史さん、遊撃・藤田平さん、二塁に吉田義男さん、本屋敷錦吾さん、一塁・藤本勝巳さん、その控えに遠井吾郎さん、外野手陣は、山内一弘さん、西園寺昭夫さんといった、錚々(そうそう)たるメンバーが揃っていたそうで、江夏さんには、とてもまばゆく見えたそうです、
ちなみに、監督は、藤本定義さんで、この時、62歳だったそうですが、江夏さんを孫のように可愛がってくれ、江夏さんも藤本さんを「おじいちゃん」と呼んで慕ったそうです。
川崎徳次投手コーチからカーブが投げられないことをバカにされていた
そんな中、江夏さんは、春のキャンプが始まったばかりの時、ブルペンでストレートばかり投げていると、川崎徳次投手コーチから、「おい豊、カーブを放れよ」 と言われたそうですが、一度もカーブを投げたことがない江夏さんにはできない相談だったそうで、
ドラフト1位指名で入団した江夏さんがどんな球を投げるのか、マスコミやファンが興味津々で群がって来ていた中、川崎さんに、
カーブも放れんと、プロ野球に入ってきたんか
と、言われ、ゲラゲラ笑われたこともあったそうで、18歳の江夏さんは傷ついたそうです。