1966年、阪神タイガースに入団してすぐの秋のキャンプでは、シート打撃で、4年目の打者・富恵一さんに高知・安芸球場の左中間スタンドに軽々と打たれ、プロのパワーの違いを感じたという、江夏豊(えなつ ゆたか)さんは、翌1967年の春のキャンプの紅白戦やオープン戦前半は上々の出来も、主力が調子を上げてきたオープン戦後半は打ち込まれ、公式戦も初先発の大洋戦では、2回4失点で降板させられたといいます。
「江夏豊は阪神入団当初ストレートしか投げられなかった!」からの続き
紅白戦は上々の出来だった
江夏さんは、春のキャンプも半ばを過ぎた1967年2月22日の紅白戦で初登板(先発)し、藤田平さん、朝井茂治さんを連続三振に打ち取るなど主軸相手に打者10人で4三振を奪い、3イニングを遠井吾郎さんの1安打だけに抑えると、
3試合目の登板となった2月25日には、初登板の村山実さんと投手戦を展開したそうで、互いに4回を投げると、村山さんは1失点、江夏さんは無安打無失点4奪三振で勝利したそうです。
オープン戦も初登板は上々の出来も主力が調子を上げてくると打ち込まれていた
しかし、3月9日、オープン戦初登板となる、阪急(現・オリックス)戦では、3番手で登板し、3回を1安打無失点に抑えたものの、
先発した3月14日の東映フライヤーズ(現・日本ハム)戦では、1、2回のピンチは切り抜けたものの、4回に張本勲さんにライトにソロホームランを浴びると、6回にも張本さんらに4連打を浴びて、6回途中4失点で降板させられ、
同じく先発した3月23日の南海ホークス(現・ソフトバンク)戦でも、4回に野村克也さんに3ランホームランを浴びるほか、打者一巡となる猛攻を受け、4回途中で8安打8失点するなど、主力が調子を上げてくると、ボロカスに打たれたそうです。
阪神が左腕不足だったことから1軍に滑り込むことができた
そんな江夏さんは、(自責点は3点だったものの)開幕後、1軍は厳しいと思っていたそうですが、
(同じ高卒の新人で、好投していた平山英雄さんの方が1軍に残るだろうと思っていたそうです)
阪神の主力投手は、権藤正利さん以外みな右腕で、左腕が不足していたことから、なんとか1軍に滑り込むことができたそうです。
公式戦初登板の大洋戦は3イニング打者11人1安打に抑えるも・・・
そして、1968年4月13日、開幕2カード目の大洋(現・DeNA)戦で、公式戦初登板を果たすと、
(先発の安部和春さんが打たれたため、2番手として2回から登板したそうです)
新人王候補と言われていた松岡功祐さんを2ゴロに打ち取るなど、3イニング、打者11人で1安打に抑えたそうですが・・・
公式戦初先発の大洋戦は2回4失点で降板させられていた
4月19日、甲子園での大洋戦で初先発すると、立ち上がり、1死二塁で迎えた外国人選手ディック・スチュアートさんに、追い込んでから、目くらましのつもりで投げた曲がらないカーブをレフトスタンドに運ばれ、
さらには、その後、松岡功祐さんにも適時打を浴びたそうで、2回4失点で降板させられてしまったそうです。
(ディック・スチュアートさんは、その巨体から「白鯨」というニックネームがつく、メジャー通算228本塁打のスラッガーで、鳴り物入りで大洋に入団すると、開幕後、来日し、この打席が初打席だったそうです)
「江夏豊は藤本定義監督から打者転向を勧められていた!」に続く