高校3年生の夏の大阪大会では、準決勝で桜塚高校に敗退するも、予選6試合で81奪三振2失点と圧巻のピッチングをした、江夏豊(えなつ ゆたか)さんは、高校野球の激戦区である大阪で新興の大阪学院をベスト4に導いた「左腕 江夏」として注目され、プロ野球チームから誘いがくるようになったそうですが、そんな中、東海大学に進学することに決めたといいます。

「江夏豊は準決勝敗退の32年後に桜塚高校と再戦していた!」からの続き

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プロから誘いが来るも・・・

高校3年生の夏の大阪大会では、初戦の大阪府立大学工業高等専門学校戦を2対0で完封、2回戦の大阪鉄道高等学校戦も6対0で完封、3回戦の大阪市立市岡商業高等学校戦も4対0で完封、4回戦の大阪府立八尾高等学校戦も4対0で完封、準々決勝の明星高等学校戦では、味方の守備のエラーによるランニングホームランの1失点だけで、2対1と完投勝利した江夏さんは、

(4回戦の大阪府立八尾高等学校戦では、初回から4回の1死まで、10人連続三振を記録しています)

準決勝では桜塚高校に0対1で敗退するも、予選6試合で81奪三振2失点と圧巻のピッチングをしたことから、高校野球の激戦区である大阪で新興の大阪学院をベスト4に導いた「左腕 江夏」として注目され、プロ野球チームから誘いがくるようになったそうです。

プロ入りせず東海大学に進学しようと決める

ただ、3年生の夏が終わり、進路を考える時期には、プロのスカウト以外に、大学球界からも誘いが来るようになったそうで、中でも一番熱心に誘ってくれた東海大学に、チームの仲間と行こうと決めたそうです。

というのも、江夏さんは、2年生の時はベスト8、3年生の時もベスト4止まりで、甲子園にも行けずじまいだったため、そもそも、阪神の村山実さんや巨人の長嶋茂雄さんがいるプロ野球界は、美空ひばりさんや石原裕次郎さんがいる芸能界と同じで、自分には全く無縁の、雲の上の話だと思っていたほか、塩釜監督がプロのスカウトからガードしてくれていたのか、どの球団の人にも会ったことがなかったのだそうです。

そんな中、東海大学は、1964年に野球部を創部したばかりで強化を急いでいたことから、松前重義学長(後に総長)が、わざわざ、江夏さんの尼崎の自宅まで訪ねて来て、学費を優遇してくれるうえ、野球部の仲間も4人ほど一緒に入れてくれるという条件を出してくれたのだそうです。

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東海大学でエースとして活躍する自分の姿がイメージできていた

また、その後、東海大の(形だけの)セレクション(入部テスト)を受けた際には、1年先輩の上田二朗さん(後に阪神タイガースで同僚)の投球をを見て、下手投げで球がそれほど速くなかったことから、こんなスピードなら絶対勝てると思ったほか、

同期で、甲子園の優勝投手になった、福岡県立三池工業高等学校の上田卓三さん(後に南海ホークス)の球を見ても、自分の方が速いと思ったそうで、江夏さんの頭の中は、もう、東海大でエースとして活躍する自分の姿しかなかったのだそうです。

さらには、塩釜監督も、「おまえが行ったら、大学へのルートができる」と言って、東海大への進学を後押ししてくれたそうで、江夏さん自身も、自分が行くことで後輩たちの道も開けると思ったのだそうです。

(新興の大阪学院野球部にとって、大学へのルートが開けるということは、大きな意味を持っていたそうです)

「江夏豊は高卒で阪神タイガースにドラフト1位指名されていた!」に続く

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