1992年、野村克也監督率いるヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、第1戦に敗れた後、第2戦、第3戦、第4戦と連勝して、3勝1敗と、日本一に王手をかけた、森祇晶(もり まさあき)さんですが、第5戦、第6戦は連敗して、3勝3敗とされ、ヤクルトにも王手をかけられます。

「森祇晶は野村ヤクルトとの日本シリーズ第4戦も勝ち王手をかけていた!」からの続き

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野村ヤクルトとの日本シリーズ第5戦では、6回表の時点で6対0とリードされていた

1992年10月23日に行われた、野村克也監督率いるヤクルトスワローズとの日本シリーズ第5戦は、4回表、西武・渡辺久信投手が、日本シリーズ15打席無安打で不振だったハウエル選手に3ランホームランを浴びて3点を先制されると、5回表には、古田選手の2点適時打、6回表には、飯田選手の適時打で6対0とリードを広げられます。

野村ヤクルトとの日本シリーズ第5戦では、7回裏に6対6の同点に追いついていた

それでも、西武は6回裏、3つの四死球で一死満塁のチャンスを作ると、ヤクルト・金沢次男投手から、大塚光二選手、森博幸選手(伊東勤選手の代打)、田辺徳雄選手の3連打に加え、二死から平野謙選手の適時打で、一気に5点を挙げ、5対6と1点差に追い上げると、7回には、先頭打者・デストラーデ選手がシリーズ3本目となるソロホームランをレフトスタンドに叩き込み、6対6の同点に追いつきます。

野村ヤクルトとの日本シリーズ第5戦は、池山隆寛に勝ち越しのソロホームランを打たれ7対6で惜敗

しかし、6対6のままシリーズ2度目の延長線に突入すると、西武は、10回表、潮崎哲也投手が、先頭の池山隆寛選手にレフトスタンドへ勝ち越しのソロホームランを打たれ、7対6で惜敗したのでした。(3勝2敗)

(西武は、ヤクルト・伊東昭光投手に8回から一人の走者も出すことができませんでした)

ちなみに、森さんは、

ナベ(渡辺久信)がなあ

と、語り、

野村監督は、

動くとロクなことがないので、選手任せにしたら、池山が打ってくれた

と、語っています。

野村ヤクルトとの日本シリーズ第6戦では、1対0と先制するも2対1と逆転されていた

また、1992年10月25日の第6戦では、西武は2回表、一死一二塁の場面で、工藤公康投手の遊ゴロ併設崩れの間に1点を先制するも、3回裏、ヤクルト・橋上秀樹選手にソロホームランを打たれ、1対1の同点に追いつかれると、

パリデス選手が中前打、荒木大輔投手が犠牲バント、飯田哲也選手が適時3塁打で、2対1と逆転されます。

野村ヤクルトとの日本シリーズ第6戦では、2対3と逆転⇒4対3と逆転され⇒6対4と逆転していた

それでも、西武は、4回表、中前打で出塁したデストラーデ選手を一塁に置き、石毛宏典選手が2ランホームランを放ち、2対3と逆転するのですが、その裏、ヤクルト・池山隆寛選手に2ランホームランで4対3と逆転されます。

しかし、西武は、6回表、石毛選手がサードエラー、平野選手が四球で出塁すると、代打の鈴木健選手が3ランホームランを放ち、6対4と再逆転します。

野村ヤクルトとの日本シリーズ第6戦では、またしても7対6と逆転されていた

しかし、その裏、西武・鹿取義隆投手が、二死満塁で代打・杉浦享選手に四球を与え、押し出しで1点を失うと(6対5)、7回裏には、ハウエル選手にソロホームランを打たれて同点に追いつかれ(6対6)、

さらには、二死から左前安打で出塁した橋上選手に盗塁されると、続くパリデス選手に中前適時打を打たれ、7対6と逆転されます。

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野村ヤクルトとの日本シリーズ第6戦では、7対7の同点に追いつくも、延長10回裏、8対7で惜敗

それでも、西武は、9回表、二死から、大塚光二選手が四球を選んだ後、続く秋山幸二選手が右中間にヒットを放つと、ここで、大塚選手が一気にホームインし、7対7の同点に追いつくのですが、

7対7のままシリーズ3回目となる延長線に突入すると、10回裏、潮崎哲也投手が、第5戦に続き、秦真司選手にサヨナラホームランを浴び、8対7で惜敗したのでした。(3勝3敗)

「森祇晶は野村ヤクルトとの日本シリーズ第7戦で清原和博をベンチに下げていた!」に続く

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