1992年、野村克也監督率いるヤクルトスワローズとの日本シリーズ第6戦では、逆転に次ぐ逆転で、シーズン3度目となる延長戦の末、ヤクルトの秦真司選手にサヨナラホームランを浴びて3勝3敗とされた、森祇晶(もり まさあき)さんですが、今回は、「史上最高傑作」と称されている日本シリーズ第7戦(最終戦)をご紹介します。

「森祇晶は野村ヤクルトとの日本シリーズ第5戦・第6戦で連敗していた!」からの続き

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野村ヤクルトとの日本シリーズ第7戦では、1対0と先制されていた

1992年10月26日、3勝3敗で迎えた、野村克也監督率いるヤクルトスワローズとの日本シリーズ第7戦は、4回裏、西武は、石井丈裕投手が、先頭の飯田哲也選手にテキサス二塁打を許すと、続く荒井幸雄選手のバントを一塁に悪送球してしまい、その間に飯田選手が本塁に生還し、1点を先制されてしまいます。(1対0)

野村ヤクルトとの日本シリーズ第7戦では、石井丈裕の打球は風に乗ってぐんぐん伸び、同点適時打となっていた

その後は、西武・石井投手、ヤクルト・岡林洋一投手ともに得点を許さずにいたのですが、7回表、西武は、先頭のデストラーデ選手がヤクルトの二塁手・パリデス選手のエラーで出塁すると、石毛宏典選手が犠牲フライ、鈴木健選手はショートフライ、伊東勤選手は敬遠と、二死一二塁のチャンスで、石井投手が1ボール2ストライクからの6球目、真ん中に入ったカーブをとらえ、中堅へライナーを放ちます。

(石井投手は、打席に入る時に、石毛選手から、「当てる」のではなく、「ぶつける」ようにスイングするようアドバイスを受けていたそうです)

すると、この時、神宮球場ではセンターからホーム、レフトからライトへと風が舞っていたことから、石井投手の打球はぐんぐん伸びていき、(極端な前進守備を敷いていた)センターの飯田哲也選手は、左手を大きく伸ばし一旦はボールを捕るも、落としてしまい、適時安打となって、1対1の同点に追いつきます。

野村ヤクルトとの日本シリーズ第7戦では、7回裏、石井丈裕は一死満塁のピンチを脱していた

しかし、その裏、石井投手は、広沢克己選手に左前安打、(ハウエル選手は左飛に打ち取るも)池山隆寛選手に右前安打、秦真司選手に右前安打を許し、一死満塁のピンチ。

それでも、代打・杉浦享選手を二塁ゴロに打ち取り、三塁走者の広沢選手を本塁で刺すと、続く岡林洋一投手も左飛に打ち取り、ピンチを脱します。

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野村ヤクルトとの日本シリーズ第7戦では、8回裏に四番の清原和博をベンチに下げていた

そして、8回表、西武は、先頭打者・大塚光二選手が右前安打、秋山幸二選手が中前安打で無死一二塁のチャンスを作るのですが、続く清原和博選手がショートフライ、デストラーデ選手もセンターフライ、石毛宏典選手もサードゴロと凡退し無失点に終わると、

森さんは、8回裏には、なんと、四番・三塁手の清原選手をベンチに下げ、遊撃手の石毛選手を三塁手に、奈良原浩選手を遊撃手にして守備を固めます。

「森祇晶は1992年野村ヤクルトを制し西武を日本一に導いていた!」に続く

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