1955年に巨人に入団すると、入団5年目に正捕手に抜擢され、以降、緻密で堅実なリードに加え、勝負強い打撃で巨人のV9に大きく貢献した、森祇晶(もり まさあき)さん。

今回は、そんな森祇晶さんの若い頃(高校時代~プロ野球現役時代)の活躍や経歴を時系列でご紹介します。

森祇晶

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森祇晶は高校卒業後は家計を助けるためにプロ野球(巨人)入りしていた

森祇晶さんは、中学卒業後は、岐阜県下随一の進学校である岐阜県立岐阜高等学校に進学し、野球部に入部すると、たちまち、捕手としての才能を開花させ、

1954年、高校3年の時には、全国高校野球選抜大会(夏の甲子園)にも強打の捕手として出場し、高校卒業後は、プロ野球(巨人)入りしています。

(成績優秀だったことから、実は、高校卒業後は、東京大学や立教大学進学を希望していたそうですが、家庭の事情で断念し、家計を助けるためにプロ入りしたのだそうです)

ただ、1955年、プロ入り1年目は、6月から一軍に昇格するも、ブルペンキャッチャーの補充要員だったそうで、試合どころか練習を観察することさえ叶わず、出場はわずか1試合のみだったそうです。

森祇晶の20代の頃

22歳の時に正捕手に抜擢され巨人のリーグ優勝に貢献していた

そんな森祇晶さんは、雨で試合が中止になるたびに、エースの別所毅彦投手に投球練習の相手をさせられていたそうですが、それが功を奏し、入団5年目の1959年、22歳の時には、ついに正捕手に抜擢されます。

すると、緻密なリードと守備力で投手陣を牽引し、この年(1959年)の巨人のリーグ優勝に貢献したのでした。

森祇晶

24歳の時にドジャースとの合同キャンプで緻密な野球を身につけていた

そして、1961年、24歳の時には、チーム改革を目指す川上哲治新監督の意向で行われたドジャースとの合同キャンプで、少ない得点を守り抜くという緻密な野球を身につけたそうで、さっそくペナントレースで活かすと、この年(1961年)、巨人のリーグ優勝&日本一に貢献したのでした。

ただ、ある試合で、投手とどうしてもサインが合わず、おかしいなと思っていると、ベンチから1球1球、投手にサインが出されていたことを知ったそうで、

腹が立って、翌朝、川上哲治監督の家に押しかけて食って掛かると、なんと、川上哲治監督には頭を下げられ謝罪されたそうで、以降、バッテリーのことはすべて任されたのだそうです。

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森祇晶の30代の頃

28歳~36歳の時には巨人のV9に大きく貢献していた

その後、川上哲治監督から厚い信頼をおかれた森祇晶さんは、緻密で堅実なリードで投手陣を引っ張るほか、捕手ながら打撃面でも活躍して、1965年~1973年(28歳~36歳)の巨人のV9に大きく貢献し、

川上哲治監督からは、

森はV9の陰のMVP

と、称賛されています。

森祇晶

37歳で現役を引退

そんな森祇晶さんも、巨人がV10を逃した1974年には、長嶋茂雄さん、黒江透修さんと共に現役を引退しているのですが、「ミスター」と呼ばれていた長嶋茂雄さんの陰に隠れ、ひっそりとした引退でした。


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