森祇晶は広岡監督の人格に疑問を持ち西武ヘッドコーチを辞任していた?


持ち前の鋭い洞察力と明晰な頭脳を遺憾なく発揮して、ヤクルト、西武で、広岡達朗監督の参謀役として、チームのリーグ優勝と日本一に貢献していた、森祇晶(もり まさあき)さんですが、西武コーチ時代3年目の1984年シーズン終了後には、西武を退団しています。

「森祇晶は西武コーチ時代に巨人のエース江川卓必殺法を編み出していた!」からの続き

Sponsored Link

広岡達朗監督の人格に疑問を持ち西武を退団していた?

西武ライオンズでは、広岡達朗監督のもと、一軍ヘッドコーチとして、1982年、1983年と、立て続けにチームをリーグ優勝と日本一に導いた森さんですが、1984年シーズン終了後には、西武を退団しています。(西武は3位)

というのも、広岡監督の人格に疑問を持ったからだと言われています。

広岡達朗監督の江夏豊への対応に反発していた?

実は、広岡監督と、日本ハムからトレードで獲得したリリーフエース・江夏豊投手とは折り合いが悪かったそうで、

(広岡監督は、江夏投手のことを、チームメイトに馴染めず、結果を残せないこともあって、対応に苦慮したと語っています)

森さんが2人の和解の場を設けようと、1983年5月に食事会を開いたそうですが、

(メニューは、広岡監督の方針である脂っ気の少ない、いわゆる”健康的な食べ物”ばかりが並んでいたそうです)

その際、江夏投手が、何の悪気もなく、広岡監督に、

監督は選手に菜食主義がいいと仰ってますが、なんで痛風になったんですか?(広岡監督は痛風で苦しんでいたことから)

と、質問すると、

これに気分を害した広岡監督は、何も言わずに立ち上がり、部屋に帰ってしまったのだそうです。

そして、広岡監督は、同年8月には、江夏投手を二軍に落とすと、再昇格させず、江夏投手はそのまま西武を自由契約(解雇)になってしまったそうで、森さんは、このような広岡監督のやり方に反発して退団したと言われています。

Sponsored Link

江夏豊のコメント

ちなみに、江夏投手は、西武退団後の1985年頃、「永谷脩の仕事 プロ野球ベストセレクション 珠玉の53篇 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス)) 」で、

最近、広岡さんの話をすると虫唾(むしず)が走る。あの人は将の器じゃない。他人に責任を擦り付けて自分は責任を取らない。

森さん、佐藤さん(1983年限りで阪神へ移籍)と広岡さんを支えた人は西武を去り、ロク(八木沢荘六)さんもよく二軍で残ったもんだ。ブチ(田淵幸一さん)みたいに他人の悪口を言わないのが広岡さんの悪口を言った。納得いかない監督はチビ1(吉田義男さん)と今度の監督(広岡さん)。

と、語っています。

「森祇晶は西武監督就任1年目からリーグ優勝していた!」に続く


永谷脩の仕事 プロ野球ベストセレクション 珠玉の53篇 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))

Sponsored Link

関連記事

サブコンテンツ

このページの先頭へ