1966年、大阪学院大学高等学校卒業後、ドラフトで4球団から1位指名を受け、阪神タイガースに入団すると、その後、剛腕サウスポーとして5球団で活躍し、最終的には、206勝158敗193セーブ2987奪三振という素晴らしい成績を残すほか、シーズン401奪三振、オールスター9連続奪三振など、前人未到の記録を残した、江夏豊(えなつ ゆたか)さん。今回は、そんな江夏さんの幼少期をご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
江夏さんは、1948年5月15日生まれ、
兵庫県西宮市の出身(奈良県添上郡柳生村生まれ)、
身長179センチ、
体重90キロ、
血液型はA型、
学歴は、
⇒尼崎市立園田中学校
⇒大阪学院大学高等学校卒業
趣味は、読書、俳句、麻雀、ゴルフ
ちなみに、姓の「江夏」は、鹿児島県出身の母方の姓で、もともと、読みは「こうか」だったそうですが、お母さんが関西に出てきた時に、読みやすいようにと「えなつ」に変えたのだそうです。
(先祖は島津藩の家老だそうです)
また、江夏さんは、3人兄弟(兄2人)の末っ子なのですが、3人共父親が違うそうです。
母親は美人で女優として映画に出演していた時期もあった
江夏さんのお母さんの喜美(きみ)さんは、鹿児島県出身なのですが、10代の頃、家族とともに大阪に移り住むと、美人で評判だったことから、唄や踊りを学び、やがて、人々に教えるようになったそうです。
(女優として映画に出演していた時期もあったそうです)
そんな喜美さんは、2回結婚しているのですが、2回目の結婚から間もない1945年3月、大阪大空襲に遭って奈良県の柳生村という所に疎開した際、江夏さんの父親となる男性と知り合い、江夏さんを出産したそうです。
(喜美さんの2人目の夫は戦争に行って不在だったそうです)
生まれてすぐに父親が失踪し死んだと聞かされて育てられた
そして、戦争から夫が復員してくると、喜美さんは夫と離婚したそうですが、江夏さんが生まれてまもなく、江夏さんの父親は失踪したそうで、
江夏さんは、生後半年ほどで、お母さんに連れられて、お母さんの故郷である鹿児島県日置郡市来町(現・いちき串木野市)の実家へ引っ越し、そこで5年間過ごすと、その後、再び関西に戻り、兵庫県西宮市 ⇒ 尼崎市と移り住んだそうです。
(「お父さんはおまえが小さい頃に死んだ」とお母さんに聞かされて育ったそうです)
幼少期から年の離れた兄2人とプロ野球になぞらえた鉛筆を転がす遊びをしていた
そんな江夏さんは、幼い頃は、お母さんが最初の夫との間に生んだ14歳年上の長兄の房雄さんと、二人目の夫との間に生んだ7歳年上の次兄の雄二さんと一緒に、六角の鉛筆の面を削って、ヒット、三振などと書いて、転がすゲームをして遊んだそうですが、
いつも、長兄の房雄さんが阪神、次兄の雄二さんがなぜか大洋(現・DeNA)で、江夏さんは巨人にされたことから、江夏さんは、川上哲治さんや与那嶺要(ウォーリー与那嶺)さんなど、巨人の選手の名前は知っていたそうです。
また、小学生になると、お兄さん2人のするキャッチボールに入れてもらったそうですが、小学校低学年の江夏さんがお兄さんたちの「大人」の球を受けられるはずもなく、顔面で受けて大泣きしたそうで、それで、キャッチボールから外されると、それが悔しくて、また泣いたのだそうです。
(次兄の雄二さんは、この頃、他の家に里子に出されていたそうで、たまに帰って来ると、長兄の房雄さんとキャッチボールをして遊んでいたのだそうです)
「江夏豊は右利きから左利きに兄に強制的に変えさせられていた!」に続く
中央が江夏さん、前列左が母の喜美さん、後列右が長兄の房雄さん。