1990年は、打率2割9分、34本塁打、102打点で、本塁打と打点の二冠王に輝く活躍をするも、オフにはなかなか契約がまとままらず、1991年2月15日、ついに、日本人選手として初めて年俸調停を申請した、落合博満(おちあい ひろみつ)さんは、1993年オフには、この年導入されたばかりのフリーエージェント(FA)権を日本人選手で初めて行使しています。

「落合博満は日本人選手で初めて年俸調停を申請していた!」からの続き

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当初はFA権を行使せず残留するつもりだったが徐々に考えが変わっていった

NPB(日本野球機構)では、1993年にフリーエージェント(FA)が導入されているのですが、球団(中日)に愛着があったという落合さんは、当初はFA権を行使せず、残留するつもりでいたそうです。

ただ、ペナントレース最終盤になると、落合さんのコメントも、

今はシーズン中だから考えてない

と、微妙に変化していきます。

(FA権は、選手があらゆる球団と選手契約ができる権利のことで、FA権を獲得し行使すると、他球団とも契約交渉をすることができるようになるのですが、FA権を獲得するには、145日以上一軍登録されているシーズンを8シーズン(8年)迎える必要があります)

誤解を防ぐため生放送のテレビ番組でFA宣言を表明していた

そして、同年11月7日(日)の夜、落合さんは、テレビ番組「スポーツフロンティア」に生出演し、FA宣言をすることを表明しているのですが、

誤解されたり、曲解されたりすることを防ぐため、新聞記者の人たちを集めて記事を書かせるのではなく、自分の真意を自分の肉声で伝えられるテレビで、かつ、編集されない生放送を選んだのだそうです。

(妻・信子さんが、小学校に進学する長男の教育上で東京への移住を望んだことから、FA宣言をしたのだそうです)

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FAを巡ってマスコミの報道が過熱する中、妻・信子が取材に答えていた

ちなみに、この秋には、落合さんのFAを巡り、「FA制導入で巨人の四番は落合」(週刊文春1993年10月7日号)、「「落合」を七億五千万円で買う巨人軍選手の「メンツ」」「球界ぐるみで策謀する「巨人軍改造計画」をスッパ抜く」(週刊現代1993年11月13日号)などと、報道が過熱していたのですが、

そんな中、落合さんと巨人の桑田真澄投手とのトレード話が報じられると、

落合さんの妻・信子さんは、すかさず、1993年11月5日号の「週刊ポスト」の取材に対し、

桑田君じゃ相手に不足だって言ってるわけじゃないよ。おっ母が余計なこと言って、また落合がブッつけられでもしたら大変だし、問題になっちゃいけないからね。

だけど、考えてもみてごらんよ。ウチの父ちゃんは、4対1のトレードで中日に迎えられた男なんだよ。それを軽々しく、相手が誰にせよ、1対1のトレード相手にされたくはないわ

FA宣言期間になったら絶対に落合に注目してなさいよ

と、語っています。

「落合博満は長嶋茂雄の熱烈オファーで巨人に移籍していた!」に続く

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